2022年春アニメの感想

春アニメも楽しかったね。

引き続き、来期アニメをチェックしながらの随時更新とします。読んでくれてありがとうね。

<更新履歴> 9/15 書き終わりました
2022/07/10 恋せか / 其れスケ / じゃんたま / パリピ孔明 / 村人A / RPG / 処刑少女
2022/07/14 くノ一ツバキ / まぞく2丁目 / 勇辞め / おにぱん!
2022/07/18 このヒラ / 社畜幽霊 / SPY×FAMILY
2022/08/03 アオアシ / 阿波連さん / であいもん
2022/08/13 かぐや様 / 乙女ゲー / 虹ヶ咲
2022/09/15 まかないさん / ダンス―ル / ヒラガ / CUE!

恋は世界征服の後で

 今期いちおしのアニメでした。いつでも見られてすごく楽しい。

 まるで世界を ああ 征服したような気分だな…… 作中で世界征服はしなかったし、これからも "後で" なんて時は来ないかもしれないけど、そんなことはきっともう問題じゃないね。立場の違いも世界の理も2人なら大切な今を守ったまま乗り越えてしまえるような、止められない熱量のある恋のお話でした。

 不動さん最初やばかったよね。でも回を重ねるごとにだんだん頼り甲斐が見えてくるようでした、不動さん自身は最初からほとんど変わってないのに。序盤こそ至らなさすぎるデート回で笑ったけど、実はでっかい虫ランキングも本を出すほど好きなんだとか、世間的にも実はトップアイドル級の人だよね…… と自分の中の見方がだんだん変わっていきました。外向的な良さもですが、やっぱりデス美さんのことをずっと考えて傍に居てくれたのが一番大きいなと感じます。

 序盤の怖さはデス美の方さんもそうで、恋に恋する人という感じが別に相手が不動さんじゃなくて良かったんじゃないかとか。だけど時間が2人を育むにつれて、デス美さんが本当に純粋で良い子なのが分かり、出会いこそ突然だった不動さんもそんな子を任せるに値する人に見えてきたのが良かったです。生涯ちゃんと支えてあげてよね・・・(クラスメイト感) デス美さんの照れ隠しを受け止められる筋肉も同じくらい良かったです、日々のトレーニングも無駄じゃなかったよ。

 恋せかへの好感度がぐんぐん上がったのは4話でした、ピンクジェラート・ハルさんに秘密がバレる回。恋敵役ながらこの人が良い人すぎるんだよね・・・。名実ともに敵のデス美さんに一切の卑怯な手を使わず、デス美さんと友達でいることを第一にして、その上で恋も完全に諦めた訳じゃないのがあまりに健気で。敵にためらわず塩を送る度にあんたレッドを追いかけて入隊したんだよ…!! と言いたくなるほどでした。4話ラストも良かったね、不動さんから遠い場所を歩くだけの分別があってしかも笑顔でいられる人なんだよ・・・。続編でもOVAでもこの人が幸せにならなきゃ嘘だなの気持ちがあります。

 9話「お姉ちゃんは変わってしまった」も好きなエピソードでした。恋の熱量でどんな障害も乗り越えられるとは聞こえが良いけど、乗り越えられる側にも置き去りにされる人が出てしまうよね。今作ではそれらが会社や家族の期待として真正面から現れる形でした。1話時点でも業務を抜けて逢瀬してるのが本当にいいの? とは気になってたり。

 家族がデス美さんに懸けていた期待が想像よりも大きくてびっくりしちゃったよね、それこそ恋やなんだは悲願を達成した後に回しても仕方ないほど。9話はまず不動さんがそれでも庇ってくれるのが嬉しかったです。お父さんの「これは家族の問題だ」という最強の台詞にも負けない人が隣に居てくれること、それは並大抵のことじゃないなって。

 ウラ美ちゃんの姉を見る目には何となく共感してしまいました。私個人の思いで、恋愛を優先したために今まで出来ていたものが出来なくなること、身近な誰かが悲しむことになるのは良しと出来ない気持ちがあります。お姉ちゃんは確かに変わってしまったけど、憧れた強さは変わってないし昔以上かもしれない。振り返る姿にはなにか安心させられました。

 だからって不動を認めてやる必要も無いんだよね。入隊したら真っ先に殺してやろうと思ってるところは、笑いながらもう一度安心できました。この話がラブコメだとしても、純粋なお姉ちゃんを恋愛の外から変わらず大好きな人が居てくれることがすごく嬉しいね。

 12話も最高に楽しかったです。たぶんアニオリ。共闘の展開は『怪人開発部の黒井津さん』でも見たはずなのにすっかり万歳してしまいました。式場でピンチになるのが筋肉ゴリゴリの不動さんの方なところも笑ったり、一人でもケーキ入刀で踏みとどまるの偉いね・・・。

 2人の関係は公にできない以上、ケーキ入刀も ”まるで” のごっこ遊びに過ぎないけれど、それが本物にも見劣りしないパワーを持っていたのは間違いないでしょう。最高にハッピーなエンドでした。

 

其れ、則ちスケッチ。

 時代を越えるコント。

 フォークダンスDE成子坂という若くして亡くなられた漫才コンビのネタを、声優自らがモーションキャプチャで3Dを動かし演じるという一風変わったアニメ。女の子になっても、自分が演じなくても、ネタの面白さ一本で勝負できるというのはどこか職人気質を感じました。

 1話こそ雰囲気に慣れるまで時間が要りましたが、2話からはすっかり笑って見ていました。youtubeでも公式配信*1されてるものの、1話>2話で視聴回数に2倍以上の差があってここで振り落とされるのはもったいないなの気持ち。

 本人のコントも動画に上がっていたので、アニメ視聴 → コントのタイトルを検索 → 実物を視聴 の流れで2回見ていました。コント誘拐で都昆布のジャンボサイズ出すところとか、アニメでは3Dだな~と思いきや本当に出しててまた笑いました。

 

じゃんたま PONG✫

 グループ子会社への実績の無い外注費を計上してしまったにゃ

 各話90秒とは思えないくらい笑って見ていました。だいたい麻雀をするけど別にしない回があったっていい。原作ゲームのYostarはいまお金が余ってるのか筍のようにアニメが生えてくるね、ある意味なんでも自由にさせてもらえるユートピア空間。

 今回はこんな状況だよ!宇宙にビルが建ったね!ED!みたいなテンポが楽しすぎて。状況説明なんか5秒もあれば充分だったんだ。毎回異常なED入りにも笑っていました。3話→4話の終わりに生まれたあの謎の納得感はなんだったんだろうね。

 

パリピ孔明

 現代に蘇った諸葛孔明が知略策略でバッサバサ・・・と思いきやそれだけじゃない。英子さん自身やファンの力が真ん中にあって、それを信じて初めて軍師の策が生きるところにも面白さがありました。

 制作はP.A.WORKS 原作ありを手掛けるのってなんだか珍しい気がします。どちらかというと普段アニメを見ない層にも見てもらえるようなタイトル。序盤はピンチな状況を孔明がひっくり返すといった快活なお話で掴んで、その後じっくりと人の内面的なドラマへ引き込むような流れを感じました。

 毎週OPを見た瞬間このアニメが始まる! と一発で気分が出来上がっちゃうのすごい。『白い砂のアクアトープ』とも同じ感覚でした。チキチキバンバンって元はハンガリー語の曲*2で歌詞は空耳の日本語をあててるんだって。確かに8時間って聴こえる。

 英子さんの表情を見てるだけでも楽しいアニメだったね。口が柔らかいはんぺんで出来てそう。暗い過去もありながら素直な良い子で、それだけに脆く悩んでしまう子でもあり、見ていて自然と応援するポーズを取ってしまいました。

 孔明が出てプロデュースするって言われたらどうしよう。大船に乗って全部丸投げするかもしれない、だって孔明なら何とかしてくれそうだし。だけど英子さんはそうせず*3、あくまで自分が歌に向き合って悩み、乗り越えられるところに強さを感じました。もちろん孔明の助力はあってこそですが、振り返ると特に中盤あたりはほんの些細なことしかしてないんだね。出会いからラストまで、これは英子さんの実力によるサクセスストーリーなんだと思えました。

 話が最終回に飛びますがラストシーンすごく好きでした。孔明に言う「ありがとう」はベンチで横並びになって、あくまで対等な関係として伝えられるようで。このド派手なタイトルをしても軍師は軍師で影の中そっと支える役回りに収まり、英子さんは策を受けながらも自分の力で輝きを掴む、そういった関係が見ていて好きでした。人と人の間にある微妙なパワーバランスはまさにP.A.の十八番でしたね。

 戻って5,6話はKABEさんの回、ここは人によって賛否別れたように思います。良かったひとつは英子さんだけでなくKABEさんも1人の人間として丁寧に描いてくれたこと。日々の抑圧、抑圧からの解放、とラップの話を日常風景に落とし込んで見せるところにグッと来ました。あの橋の下とか相変わらず暗くて汚いけどサイコーに楽しい場所なんだろうね・・・。個人的には赤兎馬カンフーさんの顔立ちが怖すぎて逆に孔明のお顔が可愛く見えてきたり。

 どうかなと思ったのは本番のラップパート。ちょうど無料期間だったので原作を読むと確かに良い場面だったのですが、アニメになるとちょっと間延びした印象もありました。漫画だとラップも台詞と変わらずに文字で読めるけど、アニメだと旋律を集中して聴かなきゃいけないところが違うのかな・・・ でもKABEさんの声の人のラップめちゃ上手いよね。

 ラップが自分の想いを真っすぐに伝えることなら、孔明の策略で騙す本分とはある意味真逆の世界で。だから2,3話とは違い、策略要素は最後にちょっとネタバラシする程度の話になったのかなと思います。それは大逆転する痛快さを求めていた人にとっては退屈に感じたかもしれないし、違うところから面白さを受け取った人もいるのかもね。なんとなくだけど話題性はそれとして、人の成長とか細やかなところを見て欲しそうにしてる気がする。

 それはそうと乾燥機の穴がミラーボールになる場面が面白過ぎてひたすら笑ってました。後にも先にもそんなこと出来るのこのタイトルだけだよ。

 7,8話は自分探しの旅でした、いかにも若者の悩みって感じ。7話はあの孔明が英子さんの行く末を天命に占っていたのが好きでした。神頼みって軍師がして一番意味の無いことに思います。それよりも1%でも成功する確率を上げるためにアレコレした方がいいんじゃ・・・ と思ったけどそうじゃないんだね。英子さんを信じてバーで待つのが孔明という人なんだなって。

 KABEさんの原点回帰、特にこの高架下のカットにはドキッとしました。ささっちょさんにとってKABEさんは英雄で、仰ぎ見て後光が差すような存在なんだろうなぁとか。それって八百屋の自分と比べれば嫉妬してもよさそうなものだけど、ささっちょさんも周りの友達も心からいい人なんだよね。夢や途方もないことを前に一人だけが頑張らなくていい、支えてくれる人が居るのはどれほど心強いだろうと思います。

 英子さんの旅も楽しかったね。渋谷に投げ出されてあんな風に過ごせる? 一生ネカフェに籠ってる気がする。気の合う人と歌って、銭湯入って、もんじゃ食べて・・・ その表情と動きがいちいち面白くて見ているだけでも幸せな時間でした。特にグッと来たのはお別れの瞬間。ろくな学生時代じゃなかった英子さんにもちゃんと同性の友達が居てくれて、帰るときは手を振ってくれるのが何だかすごく嬉しかったです。

 その七海さんの素の気遣いにも共感できて・・・ それだけに8話のラスト~9,10話はダメージが大きかったです。友情に水を差すスマホの着信、きっと8話中にも何件も鳴らされてて英子ちゃんに断っては隠れて弁明してたんだよ(最悪) AZALEAメンバーが舞台裏で会話する距離感とか凄かったよね。あまりに生々しい故に直視していたくないような時期でした。七海さんが正体を明かすときの声の震えとか、思わずあぁ……って言っちゃった。

 嫌だったのが唐澤プロデューサーの「お前たちは俺が必ず売ってやる」の言葉、これさえ無ければ100%の悪者で見られたのに・・・。台詞だけを切り取れば、経営層に言われてこれほど嬉しい言葉はないと感じます。ただ唐沢Pのような考え方が存在するにしろ、許容はしたくない思いでした。色んなアニメ作品でも経営判断によって主旨が曲がってしまった悲しい事例なんていくらでもあるもんね・・・。

 11,12話はゲリラライブ。109前占拠は倫理面からプチ炎上したみたいですがあれは郷ひろみが実際にやらかした伝説のライブ*4のオマージュらしいよ、へー。

 唐沢Pはどことなく、英子さんを信じられなかった世界の孔明にも見えました。孔明は主人公だし善人に見えるけど、両者とも策で人を騙すことには変わりなく、汚さで言えばほとんど同じ人間なのだと思います。ただひとつ違ったのが相手を信じて任せられること、孔明が英子さんを路上に放流したのは確かに失敗する可能性だってあったけど、唐沢Pのように自分の策を押し付けることはせず、結局はそこが鍵になって勝敗がついたように見えました。もしかしたらこのことを大局観と呼ぶのかもね。 

 全体を通して。主要メンバーはもちろんのこと、眼鏡のトップオタやささっちょさんをはじめ周りで支えてくれる人にとても重要な役があったのも良かったです。あの人達が居なければいくら孔明の頭が良くても成立していなかったでしょう。12話のファンも「またサクラじゃないの?キープロだし」って台詞が妙にリアルで、1人1人が道具のように扱える存在ではなく賢い人間なんだなって。”たみくさ” が指しているだろう彼らが大切に描かれていたのはポイントだったと思います。オーナーの端々から香るガチオタっぽさも大好き。

 

史上最強の大魔王、村人Aに転生する

 この1枚なんかすき・・・揃ってる。

 SLIVERLINK.×湊未來のいつもの。夏アニメでは今作で合流した共同制作と一緒に『最近雇ったメイドが怪しい』をやるらしいよ。超綺麗なキャラデザは『天使の3P!』より、1話の幼少期シーンに気合入ってたのってそういうこと? 主人公の声優は『アイドルマスター SideM』ヒロインは『アイドルマスター シャイニーカラーズ』からと繋がりを感じるキャスティング。

 だいぶ楽に見ていました。今日はもうこれしか見れないという日があるね。話に共感できたかは別として、1クールに1本は摂取しておきたい枠でした。アニメ視聴は幕の内弁当。

 2話すごくなかった? 爵位、決闘…… 無詠唱!? ペラペラな敵役、失われたスキル、この魔法は昔自分が作った!! キャッキャ

 女の子を可愛く描くこと、それから魔方陣に関しては一家言ある風格まで感じます。特に今作は「前世が孤独で仕方なかったから転生して友達と仲良くやりたいよ」ってお話だからか、花が咲くようなファンシーな色みを前に出した印象でした。

 古代編から正直どこまで着いて行けてたか怪しいですが、11話の何もかも失った世界線のアードさんはちょっとビックリしたね。こんなお話だから主人公ってだけで万事うまくいくのは当然に思えたけど、実はそうじゃないルートも存在するよって突きつけられたようで。アード・メテオールとして転生した以上イリーナさんやジニーさんにも出会ってるはずだし、その悉くを自分のせいでダメにすることも確かにあり得たんだね。

 最終回はどちらかというと黒アードさんの方を不憫に思いました。リディアさんの自己犠牲がどれだけ尊くとも遺された側がワガママを言っちゃいけない理由なんてないよね。その気持ちを暴露した上でリディアさんにはなお尊さを語られ、白アードさんには「卑怯……ッ!」と罵られるのが直球すぎて笑っちゃいました。そうだけどそこまで言う?

 友達を求めた果てにリディアさんが昔からずっと親友だったことが分かり、前を向いて今の友達に受け渡される最後。あくまで恋愛のお話じゃない*5からアードさんは常に紳士対応だったのかなとか。リディアさんへの想いが愛だと口走った黒アードさんが刺されるくらいだし何かありそうだよね。もしかしたら中盤あたりも恋愛と切り離した友情のお話をしてたのかも。

 

RPG不動産

 ファーだよ~

 基本楽に見ていました。監督は『池袋ウエストゲートパーク』『世話やきキツネの仙狐さん』より。このお話の手綱を握ってアニメにするには割と腕を試される内容だったんじゃないかと思います。

 背景苦手な人が住宅で1本漫画をやろうとはならないよね。前年では『ドラゴン、家を買う』がそうだったように美術方面への自信を感じるタイトルでした。ただアニメとしてはどこまで付いていく余裕があるか、キャラを差し置いてまで他のものを魅せるかはいつも悩ましいところです。不動産業というのもリアルに突き詰めれば大変なお話も色々と出来そうですが、今作はそんなことは気にせずふわっと楽しめるお話でした。あと琴音やセーラ*6さんをはじめ、ちょっと頭の弱い子ほど愛される・・・ のはある意味承知でやってるらしいよ。

 好きだったところ。ネクロマンサーさんの家がめちゃめちゃ可愛くてタイプでした。無生物に紅茶を用意してもらうシチュが大好き。それから琴音がファーと一緒に寝てあげるところ。もしも自分に子供がいて99%悪いことをしてると分かっていても、上手く問いただせずこんな顔をしてしまうのかな・・・ とか思ってしまったり。

 ファーがやっぱり可愛い・・・ 作中でも第2の主人公のようでした。お気に入りは第7話サブタイトル読み上げのふぁー♡ のところ。あの髪形とゴツゴツの尻尾も毎回描かなきゃいけないの超大変そうだよね。そういった意味では第4話に出て来るペガサスもかなり気合の入れどころでした。

 終盤は別アニメのように雰囲気が変わっていきましたね。どんな顔してあの明るいEDを迎えればよかったんだろう。サイレントの引きや流血表現など緊張感は高まりましたが、それがこのアニメで求められるものだったかは人に依ると思います。もちろん原作通りだからと言えばそれまでだけど・・・ ノーイベントグッドライフな心持ちでは途中見るのが難しくなってしまいましたね。とはいえ全体的には気軽に楽しく視聴できたアニメでした。

 

処刑少女の生きる道

 面白かったです。見始めたのがクール中頃からだったのもあって、これは掘り出し物を見つけたぞという気分でした。

 原作は『ダンジョンで出会いを求めるのは間違っているだろうか』から7年ぶりのGA文庫大賞作品だそう。その縁かアニメスタッフもダンまちからが多く、でも監督はこれが初監督作品なんだって。責任重大。

 異世界ながらも日本文化を継承している設定より、どことなくファンタジーになりきらないような世界観が独特でした。1話の視界が開けた先の日本街、日本語の魔法にも「おっ」と思わせるだけの力があって掴みはバッチリ。港町リベールの建物の感じとかもすごく好きでした、絶妙にギリシャじゃなく南紀白浜っぽいよね。日本要素は一発ネタという訳でもなく、全体的にもどこか地に足の付いたローカルな雰囲気に仕上がっていた気がします。

 なにか親近感を覚えるのは「年を取りたくない」「B級映画」な悪役たちも一役買ってたのかな。アニメを飾るラストをB級って自分で言っちゃうんだとも思いつつ、パニックホラーのお約束な演出はかなりキマっていてワクワクしながら見ていました。12話パンデモニウムさんがアカリちゃんの前から去る場面とか良かったよね、たとえ映画の話でも無くした人間性の部分をいくら叩いても響いてくれない感じ。

 みんなはどのメノウちゃんが好き? うーんソフトクリームのところ!(人気投票) ダークファンタジーでも見ていて楽しいのがやっぱり大きかったです。ギャグも入れすぎると元のお話を壊してしまうし丁度良い塩梅だったね。いちばん笑ったのはトップ画像にしたアカリちゃんの寝てるボートを死の霧へスーッ……と押すところ、そんな不法投棄みたいな。7話で新キャラだったパンデモニウムさんが特に説明もなくポイ捨てされてED突入もあまりにもあんまりで。笑ってる状況じゃないけどね。

 身構え過ぎず温かい気持ちで見られて、その上で決めるべきシーンでは想像以上のものが出てくるアニメでした。特に8話あたりではメノウちゃんの暗殺者としての身のこなしに不意を突かれてしまって。アクション含めてやっぱり底力はあるアニメだよねと思わずにいられませんでした。もちろん30分ずっと動かせるような作品ではなかったですが*7、要所要所で難度の高いシーンへのチャレンジも確かに見えて、この頃からは最終回まで視聴モチベもぐんと上向きました。

 まだまだやることを残した終わりだったし2期もやれそうだね。フレアとの対峙とか、選ぶ道を違えてしまったモモちゃんとの行く末とか。個人的には過去回想で子供メノウちゃんが言った「フレアになる」の台詞が重かったので、神官ではなく悪人になったメノウちゃんがその後どう向き合うのかなと気になります。

 モモちゃんを待っているのは地獄の道なんだろうけど…… 少なくともアーシュナ姫殿下が傍に居てくれそうなのは良かったね。モモちゃんのように好きの拘りが強い人に、どんな形であれ寄り添ってくれる友達がいると何だか安心してしまいます。きっとメノウちゃんでは助けられない部分を助けてくれる気がして。

 

くノ一ツバキの胸の内

 ほのぼの見ていました。里から出ないスケールの小さな話の中に、思いやりや可愛さがあふれるアニメ。ちょっとした仕草にアニメーションの繊細さが光っていて、大立ち回りのアクションにはとどまらない魅力がありました。班って12もあるの……! お話の多くは班の担当回、むしろキャラゲームのアニメ化に近いよね。

 制作はCloverWorks 中でも監督はほぼ初監督で、若い才能ある人をどんどん表に出すスタイルみたい。シリーズ構成は『トロピカル~ジュ!プリキュア』『アイカツ!』シリーズの方が全話脚本という剛腕っぷり。

 まず個人的にはあかね組の共同生活っぷりが好きでした。ツバキがお姉ちゃんになって班や組を守ること、またツバキ自身も危ない道に逸れそうになれば今度は先生が導いてくれること。他の班に目を移しても、支える人・支えられる人の形は様々ながら、お互いを心から信頼し合っていて。地味でも幸せな暮らしが成り立っているところに惹かれました。

 溌剌と動き回ってくれるおかげで楽しく、反面危なっかしいよね。小さい子とか目を離したらすぐどっか行くし。でも行き過ぎたときはちゃんと叱って手を引いてくれる人がいる。叱られた方も最後には好意で返してくれる。そういったやり取りが幸せでした。

 視聴前には若干の苦手意識があったものの、杞憂に終わった気がします。危惧していたのは小さい子を並べて消費物のように扱う話だったら嫌だな……って。だけど蓋を開ければむしろ逆で、1人1人を人間として大切にする雰囲気があり、特に1話はアサガオ・サザンカの仲良しコンビがずっと面白くて引き込まれました。女の里社会でまず友情があってくれるの本当に嬉しいね……

 どの回が好き? お気に入りは5話の丑班、アジサイが甘やかされる回。各班が家族のような単位にまとまる中、丑班は上級生2人が揃って過保護でダメだな~~と思ってしまって。ここだけ機能不全な感じがすごく不安だったんです。とはいえ当のアジサイは甘やかされることを問題だと認識してるのは良かった、えらいね。

 過保護な両親から用意された靴を履かない一連のシーンにはびっくりしました。そうそう、そんなの絶対使いたくないよね、”アナタのためを思って” なんて干渉するほど逆に自由を奪ってるんだ・・・なんて思いながら見ていて。だけどアジサイにとっては実はそうじゃなかった、靴を履かない理由は反抗とは違い、むしろ2人のことが大好きで一人前と認められるためだったことに思わず予想を越えられてしまいました。

 細かい話だけど、一人前と言ってもらえた後の「怪我はないか?」に対して「ちょっとだけ……」って言えるのすごく好きです。過保護な人に言って大ゴトにされるくらいなら、私だったら怪我を隠す方を選びます。何気ない台詞にもなにか心理的な安全を感じました。

 シオン・スズランさんが甘やかす理由も最後にちゃんと話してくれるのも良かったね。不安だからとか下に見てるからじゃない、本当はいい人・・・。丑班も結局何かが大きく変わるわけじゃないし、甘やかし自体も直してもらえないけど、やっぱり班として成り立ってるんだなと感じられた回でした。

 

まちカドまぞく2丁目

 24分の中に2時間分くらい詰まってるアニメ

 めずらしく原作既読でした。というのもこのタイトル2期やると思ってなかったんです。発表前の当時は別の長期アニメも始まってどうやっても手数が足らず、無理にやって崩れるくらいなら1期で収めるのもアリかと思っていました。だけどそんな不安が吹き飛ぶほど最高の2期だったね。

 あまりにも幸せな時間でした……。今期はまぞくが月曜配信だったのもあって、一番つらい日に一番の楽しみがある生活を送れました。たぶんまぞくが放送してる時間軸だったらループ世界でも永遠に楽しく暮らせる。

 実は最初の計画だと1期の尺で2期の範囲まで進める予定だったらしいよ、いや絶対無理やろ。というのは事前に判断してちゃんと分割したのが今回の2期だそう。ただでさえ他のアニメが10秒かけるところを2秒で済ますようなテンポなのにね。ストーリー進行上やらなきゃいけないことは盛りだくさんでしたが、それらをこなした上でエンタメも妥協せず1本の作品として完成しているのは鬼才という他ありません。

 うれしいとき。桃の口の横幅が伸びるとき、目を開いて上の方が見えたとき。うれしい。桃ちゃんさんたまに顔の良さだけでシャミ子を言いくるめようとしてる時ない? ズルい。

 2期はシャミ子が闇の女帝としてほんのちょっと頭角を表しましたね。原作イラストで王冠被ってる女の子は伊達じゃない。いいな、と思ったのはミカンさんの夢に入る前のこの場面。街の困りごと*8も2人が居れば何とかなりそうな、頼り甲斐に似たものを不意に感じてしまって。感傷に浸る間もなく、次の瞬間ギャグで笑ってしまうのがまたこのアニメらしかったです。

 最終話は4巻ラストの内容で、アニメ2期の最後を飾る話としてもピッタリでした。とんとん拍子すぎるお供え作り~ウガルルちゃん召喚まで。全員集合のそれ自体も賑やかな上、このまちカドの住人が集まって力を貸してくれることに一層の意味を感じてしまいます。この街は実は奇跡的なバランスで成り立ってるし、一見なにも関係なさそうな事も裏で全部繋がってる。

 お気に入りの場面貼ってもいい? お父さんをなぞるシャミ子の手と、まぞく二の腕掴みと、お膝でミカンさんの頭を揺らす杏里ちゃんと、OPのお母さんステップと、机と並行になる桃と、全体的に丸みが増える回と、お尻から毟り取られるマスターと、最終回の必殺笑顔の桃と、あとあと・・・

 

勇者、辞めます

 人間の味方だった魔王と、優しすぎる勇者ども

 面白かった~~! 制作はEMTスクエアード、総監督は同じ魔王勇者ものでは『えんどろ~!』の演出をしていた方、シリーズ構成は『体操ザムライ』『錆喰いビスコ』から。

 序盤は経営シミュレーションみたいで、中盤にはレオさんの真意、終盤は役割を使った話と、どんどん面白くなって惹き込まれました。正直、序盤の人を語るような口ぶりには(そういう感じね。)と了解しそうになりましたが、そこからレオさんが実は人ですらなかったと明かされる切り返しは見事でした。

 とはいえ序盤もそれなりに好き、再建物語は壮大なお話もよくあるけど、個人的には身近な人から幸せにできる話の方が好きかなって。その身近な四天王さんたちがすごくお茶目で人の良さが伝わってきました。こんな人たちとレベル1から始められるならきっと楽しいんだろうな。

 おや? と思ったのが、アドバイスが必ずしも功を奏してレオさんありがとう!とはならないところ。例えばリリちゃんにお膳立てしても全然思い通りにはならないし、でも自分なりのやり方で問題を解決できるところとか。いわゆる無双系からはちょっと外れたところに毎回着地して、むしろレオさんの方が得るものを得てない? と不思議に思っていました。

 メルネスさんに接客業やらせるとかも、あまり良い手ではないと思うんです。それが直接成果を出す訳じゃないし、むしろ後半の思わず日々の鬱憤を答えてしまうレオさんの方が救われていて。このアニメは説教垂れるお話に見せかけて、孤独で偏屈な一般人のレオさんをカウンセリングする話なんだなと見方が変わってきました。*9

 真骨頂は8話エイブラッドさんの伝言から12話まで。「名乗りを上げる」のが大切だと言われて次回レオさんは確かに名乗りを上げるのに、まさかそんな自暴自棄たっぷりに言われるとはね・・・。

 個人的には後半がすごく面白かったです。語りがメインになり退屈といえば退屈なのですが、その台詞は勇者と魔王の役割として言っているのか、本心で言っているのか、と問答の中で何度も反転していくのが圧倒的でした。

 勇者と魔王の睨み合いはある程度お互いの立ち位置にテンプレがあります。これは私個人の見方でどう見るのが正しいという話ではないのですが、例えば先の『えんどろ~!』から引っ張ると、勇者・立ち向かう者は右向き、魔王・迎え撃つ者は左向きといった感じ。

 そう見ているとまた一段と面白かったです。人類を脅かす存在だったと明かされたレオさんはこの位置に立つ資格が確かにある。特に11話Bパートは圧巻で、強大な者に呪文を打つエキドナ、敗れるべき勇者として立つレオ、反転して魔王にさせられるエキドナ、と冒頭だけでも目が釘付けでした。レオさん強者ムーブするくせに殺してもらえる瞬間勇者の位置に戻るから「全然勇者辞められてないじゃん!!」ってキレながら見てましたね。楽しい。

 感覚的な部分が大きいパートなので全ては文字にしませんが、レオさんのやっと勇者から外れられる安堵、それを救う者としてのエキドナさんが許さないこと。魔王の責務を全うするポーズ。そして友に向けたラストカットには痺れました。

 改めてOPを見るとそもそも立ち位置は逆転していたんだね。これは初めから魔王が勇者を救う話だったんだとつくづく思ったり。位置がうんぬんは必ず守るものではないし印象の域を出ない話なのは念頭に置いといて、少なくとも意識のあるアニメだったのは間違いないと思います。これだけ演出チックなことをして12話で「魔王ごっこ」と一蹴するんだからたまらないよね。

 

 

おにぱん!

 つっつんの善性をウチらと放送枠とあおしまたかしの力で守護るぞ・・・

 平日あさ7時放送とは思えないほど周りの視聴率も高かったです。サブスクがあってよかった、中にはリアタイする猛者も見かけましたが。本放送版だとむしろあのEDが削られてたってほんと?

 毎話笑顔で見ていました。1話こそ本職の声優じゃないぶん気になりましたが今はもうすっかり馴染んでしまいましたね。

 ターゲット層が小学生なだけに「学校ってだるいよな~」とかチャンネル開設してみたいとか、何気ないところで深夜には無いリアルっぽさを感じました。当のYoutube回はハラハラさせられたね、食品が無駄になりそうで鬼のイメージアップからは本当にやらかす手前まで行ってて。

 一方でこれは小学生には分からないでしょ…… なネタも満載でした。高木ブーとかインディー・ジョーンズとか。しっかり親子で楽しめるアニメだったね。見ててどっちに共感した? 私は両方から2倍笑ってました。

 アニメ単体としても本当に気持ちのいい仕上がりでした。前期EDの部屋のシーンとか大好き。日常仕草の完成度はもちろん、それらは鬼の恐ろしさとは結びつかなくて。特にこの伸びは最終回でもう一度出るくらいに気持ち良かったです。

 もし子供の頃テレビをつけて『おにぱん!』がやっていたら、きっと穴が空くほど見てたんだろうな・・・って思ったり。これは友達の話ですが、アニメや漫画は有害として触れられない生活をしていた子が、でもおはスタは視聴を許されていたなら、脱法的に番組内でこれを見る機会に恵まれるわけです。案外『おにぱん!』がきっかけでその後アニメの世界に入ったなんて人が出てきたりしてね。

 

このヒーラー、めんどくさい

 1週間のお楽しみ、大好きなアニメでした。原作はニコニコ静画が発祥、煽り文化とネットスラングはここから来てるのかな。元になった漫画*10と正式連載版*11の2作品があり、アニメ化にあたっては両方からエピソードを採用する形でした。アンナさんやりょう子さんがボツキャラ扱いされてたのはここの登場有無の違い。

 いつもアルヴィンさんの口上から始まるの、あれ地味に好きです。Good Choiceなサムズアップも。楽しいアニメが毎回決まった形から入ってくれるのって、どんなメンタルの日に見ても同じ世界に連れて行ってくれる感じがします。気持ちが助かる。

 たくさん笑って幸せな時間でした。出会う人間も異種族もみんな可愛くて良いひと。人語もよく喋る。大好きになったぶん最終回EDで揃って手を振ってくれるのは最高でちょっと泣きそうでした。唯一悪人らしい悪人といえば逮捕された人くらいでしたが、あの世界って冒険者ギルドもあるし、お茶目なひとたちを倒そうとする人間は結構いると思うんですよね。アルヴィンさんに誰かを傷つける腕力が無くて本当に良かった、本人には悪いけど。

 煽り構文って一歩間違えれば単にイラっとする視聴になりそうです。だけどカーラさんの声がすごく透き通っているのとか、またアルヴィンさんが清々しく突っ込んでくれるおかげで全然不快感はありませんでした。むしろ煽りはカーラさんにとってのコミュニケーション手段に思えて、奥にある良い子オーラが透けてくるよう。

 OPがよく聞くとゴリゴリの恋愛ソングでびっくりしちゃいました。めんどくさいのは意識しているから・・・ ってそういう意味?? 恋バナ的なところでは11話の女子会とか大好きでした。カーラさんにも同じ立場から話を聞いてくれる友達がいてくれて、きっとこういう話は他の人には出来ないよね。堰を切ったように惚気が出るのにもめちゃめちゃ笑いました。それから12話呪いの種明かしには思わずガッツポーズ。たぶん同行メンバーも含めてカーラさんの気持ちに気付いてないのアルヴィンさんだけだよね。このラノベ主人公……!

 

社畜さんは幼女幽霊に癒されたい

 Twitter漫画原案。制作はproject No.9で、監督は・・・なんかヤバそう*12 シリーズ構成は同スタジオでは『ひげを剃る。そして女子高生を拾う。』から。

 合う合わないのハッキリするアニメでした。これは私の見方ですが、大人は子供の安全を守るのが第一で「可愛い」や「いつもありがとう」はその後にあれば嬉しい程度のものだと思うんです。少なくとも幼女が仕事を肩代わりしたりアイロンを持つの見て浮かれた気分ではいられませんでした。たぶんタイトルで幼女と銘打ったのが人権意識の原因。ただみゃーこ(猫)の存在や、人じゃなく幽霊という設定で躱していたのはせめてもの工夫だったなと思います。

 一方で、本当に労働で疲れ果てている人から見ればまた違う感想なんだろうなとも思います。責任やら何やらは大切だし理解もするけど、もう難しいこと考えたくないし、とにかく癒されたい。なんて時期もあるよね。そういうときは逆にこのくらい実直なお話の方が救われるんじゃないかな。

 色々思うところはありつつ、ところどころでは純粋に微笑んでしまいました。ワイシャツちぎっちゃった! あちゃ~とか、花占いに失敗してびゃんびゃん泣くのとか。あと個人的にはお隣さんペアの関係がいちばん好きでした。ありがとうの取立てやごめんなさいを許すポーズなんか無くても、思いやりと信頼で結ばれている感じがして。

 

SPYxFAMILY

 今期「なんか面白いアニメある?」にこれほど答えやすいクールは無かったでしょう。誰にでも広く受け入れられて、分かりやすく、面白い。と揃ったアニメでした。

 超能力なんか無くても子どもは親の顔色に神経研ぎ澄ましてたりするよね。はじめは偽装家族だったのがだんだん本物の家族に・・・という流れだとは思いながら、1期の時点ですでに本物顔負けの家族らしさが見えるようでした。ロイドさんがアーニャの頭をなでる手付きとか、あれほど愛おしさが滲み出てるのに本人がまだ気付いてなさそう。

 毎話が傑作レベルでした。特に好きだったのは5話アーニャが学校へ行く直前の回。身の丈に合わない学校に入るって実は相当ハードなことだと思うんです。現に入学してからベッキーが居なければ*13イジメられそうになってたし。だけどそんな子どもを前に親がしてあげられる事なんて何一つ無いんだよね。せいぜい出来るのは応援して良いもの食べさせて見送るくらい。

 それはフォージャー家だって同じことで。ただ、一般家庭と違うのがその規模。お城も貸切るし、人手総動員のスパイごっこもやるし、花火だって打ち上げられる。とても普通では出来ないド派手さに笑っちゃいました。だけど規模の違いこそあれ、不安を抱えた子どもを全力で応援すること自体は一般家庭と大差無いのでしょう。フォージャー家は確かに普通の家族ではないし、親は何もしてあげられないなりに、その中で出来る最大級の祝福で見送ってくれることが心から嬉しかったです。

 一方で7話あたり、ロイドさんのダメ親ムーブにはウッと胸が苦しくなりました。心配も国家存亡が懸かっていることも分かるけど、親が学校の敷居をまたいで干渉するのは絶対やっちゃいけないことです。教科書に紙貼るのとか、実際やられたらめちゃめちゃ嫌いになるよ。心配ではなく不信というものでしょう。本職スパイに人を信用しろというのが無理な話かもしれないけどね。

 でも7話で印象的だったのはラスト、ロイドさんがアーニャの寝顔を見てなお笑顔になれないところ。立派な親と自分を比べる姿は 偽装/本物 の垣根を越えて、どこにでもある悩みとして真に迫っていました。・・・実は笑顔になれないといっても、それはロイドさんが理屈っぽく自問自答する最後のシーンだけで、直前の無意識のときは自然と笑顔になってるんだよね。寝かせる手付きも優しすぎて。もちろん笑顔はすべて演技と言うならそうかもしれないけど、少なくともこの指先にまで嘘はつけないだろうと感じます。

 重量級の映像体験にも関わらず、思わず次へ次へと見てしまえるのが異常なほどでした。その工夫は例えば、1カットの中で見てほしい部分がハッキリしていること、メリハリの効き、線だけでない明暗と色みの使い分けなど。このあたりは目を見張るばかりでした。

 また1つの動きが違和感をなくすというレベルを越えて、一番気持ちのよい動きを追究できるところにリッチな見応えがありました。職人芸の見本市を見ているよう。さらに台詞回しや声の演技等も合わさって、アニメの持てる力をフルに発揮できる一作だったなと思います。

 いくつか面白かった場面を思い返すと、たとえば10話はボールを投げるシーンひとつ取っても動きがあまりにも綺麗で。思わずアーニャと同じ顔で啞然としていました。簡単そうにやってるけどそんなの描けるわけがない…!  力の移動、投げた後の抜けまで「ボールはこうやって投げるんだぞ」と言わんばかりでした。

 それから家族にとって大事な食卓のシーンも。スパイゆえに見た目はどれも平和だけど、出会って初めての頃はなんとなく距離感があって、お互いに裏があることを隠すような描写だったり。反対に "いい家族" と呼ばれてからは自覚が無くとも心理的に近づけたり。国家保安局のユーリさんが来たときは人にナイフが向いている緊張感や不安定さとか。

 実際、視聴中にそこまで細かくは見られないのですが、何となくの雰囲気さえ伝われば大成功なものだと思います。レイアウトやモノの下支えは「なぜか分からないけど見やすい」にも貢献していたことでしょう。こういった印象操作が上手く出来ることも、いかにもスパイのアニメらしく面白いところでした。

  第2クールは10月から。このアニメに限って心配はしていませんが、ネームバリューが膨れ過ぎると色々と第三者のちょっかいが増えそうなのが懸念点でしょうか。楽しみに待っています。

 

アオアシ

 バンザーイ大友さんかわいい

 春アニメの中でも特に面白かったです。Eテレ放送で『不滅のあなたへ』から枠を引き継いだ連続2クール、ヒロインのキャラデザは『プリキュア』シリーズから。

 前半は葦人さんが地元を旅立つまで、後半はJユース入団後のお話でした。2クールのおかげもあって生い立ちや故郷のパートにしっかり時間が使えるのは良かったね。

 最初の方は阿久津先輩の残忍なインパクトが強く、面白さと怖いもの見たさで惹かれてしまいました。あのひと絶対何人か殺してるでしょ……。落ち込んでる葦人さんに近づいた時は(こんな人でももしかしたら)と期待して、だけどその実、ボッコボコに心を砕きに来ていたときはあまりにも恐怖でしたね。いずれは葦人さんと同じ側のコートに立つのかもしれないけど、1クール時点ではとても仲間になれると思えないです。どうなるんだろう。

 ユース最終試験の試合、ここではハッキリと脱落者が出ることに驚きました。例えば中野さん*14は、大友さんと一緒に場の雰囲気を良くしてくれたりと結構好きだったんです。だけどこのアニメでプロの世界と一般のサッカーは明確に区別されていました。メンタルが耐えられず舞台を降りてしまう人が出ることで、ユースが誰にでも入れる世界じゃないことが強まっていましたね。個人的には中野さんにも何かしら再登場の機会があってほしいです……たとえサッカーではないとしても、諦めることがイコール死ぬことではないと思うから。元気にしている顔を見せてほしいです。

 5話、帰郷の回は原作でも人気が高かったことでしょう。葦人さんが向かう先が苛烈なプロの世界だからこそ、帰って来る場所がどこまでも温かいのには安心できます。旅立つ前にクラスメイトが集まってくれるのとか、予想は出来ても泣いちゃいました。

 葦人さんはサッカーで大成することだけが恩返しになると思い詰めてるけど、実際そんなことないよね。お母さん達からすればプロになるなんてそもそも期待してなくて。もし葦人さんが夢破れて帰ってきても、誰もガッカリした顔は向けず、既にお風呂が沸いているんだろうね……。お母さんの手紙のシーンは感動といっしょに、なんだか人として見習いたい姿のように思って見ていました。

 前半は家が貧乏なことが強調されていました。そしてここまで来るとOPもまた見え方が変わるよう。サッカーアニメだから靴が映るという以上に、これはお母さんがお金を出して買ってくれたスパイクで、厳しいプロの世界で戦うための原動力なんだね。しかもそれは期待を背負わせるようなプレッシャーとも違う、息子を誇りに思う力強さの証なのがまた嬉しいです。

 後半にかけてはプロの世界ゆえの厳しさがさらに際立ちました。個人的に強烈だったのが9話「当たり前が何かも分かってないじゃないか」の台詞。自分より遥かに物事が見えている人にこれを言われたらと思うとゾッとします。後半は割とサッカーに限らずといった話が多く、上手い人の中で揉まれて好きな事をやるという意味では身につまされる思いもありました。

 このアニメは頭の良い考え方をすることが特徴的でした*15。自分のプレーを言語化しろという監督の指示から始まり、なぜ上手く行くのか、なぜダメなのかを徹底的に論理で組み上げていく感覚がありました。「人間は考える葦である」の言葉の通り、ここが物語のミソなのは間違いないでしょう。

 びっくりしたのが10話、失言した朝利さんを制し「最後のは違う」と咎めるシーン。理よりも同調を優先することなんていくらでもあると思うんです、それがつるんでる友達同士ならなおさら。だけどユースで生き残る人は考え無しの言動を決して良しとしない。好き嫌いや激情はあるにも関わらず、それは一旦切り離して目的のため冷静になれる。言葉の一つでさえ常に是非を考え続けているのが伝わった場面でした。

 そんなインテリ集団に葦人さんも良い意味で染まっていくようでした。ここは分からんけどここは分かった、自分の考えはこうだ、お前の意見を聞かせてくれ。ってやり取りすごく健全だよね。

 厳しいことばかりだった分、11話の葦人さん覚醒からは麻薬のような快楽がありましたね。凡人ではお荷物にしかならない舞台で、今まで指摘されていたことの意味が初めて分かり、試合で実践でき、点を取れる。そうすると感情抜きで物事の是非が分かる人間たちが良かった部分を真っすぐに褒めてくれる。今までが報われるような、抑えていたものが解放されるような感覚で鳥肌ものでした。

 そこに留まらず、葦人さんには違う意味でもぞわっとしましたね。これだけ思考を重ねてジュニア時代から研鑽している人たちを前に、よく分からないけど備わっている天性の力で試合を進めてしまえるのは一方で暴力的とも思います。嫌味ばかり言ってきたメンバーが賞賛を通り越し唖然としているのは痛快でもあり、それ以上になにか怖ろしさを感じるようでした。

 2クール目に向けて、自分の中で黒田さんの株が上がってるのを感じます。現実に居て仲良くできるタイプかは別として、言われて一番嬉しい台詞を何度も言ってもらえた感覚が残っています。あと個人的には橘さんが今後どうなるのかが怖いな……今は優等生張ってるけど、一度壊れてしまったらとんでもない暴走しそうだよね。2クール目も楽しみです。

 

阿波連さんははかれない

 今期のダークホース枠、後半につれてどんどん惹きこまれてしまいました。「距離感のはかれなさ」をキーワードに、阿波連さんの個性として、そして視聴者とアニメの間のこととしても生かしきる構成が見事でした。

 全体を通して幸せなアニメでした。1話から阿波連さんがべったり腕を組んで歩くのも(距離感がはかれないなら仕方ない)と納得してしまったり、だんだんとライドウ君の方がよっぽどの変人に見えてくるのも笑っちゃって。卓球回で点数をお互いのノートいっぱいに書いてるのはなんだか無性に好きでした。いつも通りに遊んでる一幕に過ぎないけれど、そういった日々もかけがえのないものに見えてきて。

 コメディらしいテンポの良さや、独特な間の使い方でも雰囲気を掴んでいました。特にこのアニメは導入パートが最高だったね。毎回OPを迎える頃にはすっかり気持ちがお話の方を向いて、自然と好意的な目で見る準備が出来ていたように思います。

 ずっと楽しくて。ただ中盤ハンドスピナーやポ○モンのパロディを持ち出したあたりからは、何となく今後の展開を察するようでした。それってもうネタ切れのときにやる事じゃね?って。タイトルから一発屋っぽいのとか、3Dモブの絶妙に安い感じなんかも加わり、最終回まで使い切りのネタをこなす感じになるのかな……と、視聴スタイルを固めそうになっていました。

 そこから一転して、恋愛要素が真実味を帯びていくにつれ、だんだんこのアニメとの向き合い方が分からなくなって来るんだよね。放送当時はTwitterのTLもざわざわしていたのを覚えています、もしかしてこのアニメのこと何も分かってなかったのかもしれない……って。山場を迎える10話のキャンプまで勢いをつけて面白く惹き込まれてしまいました。

 しかもこれは急にストーリーが舵を切ったという話ではなく、視聴者がこのアニメとの距離感を掴みかねてるだけなんです。それはまさにタイトルの示す「はかれなさ」そのもので。2人とも表情が無いから何考えてるか分からないだけで、オモシロおかしい日常の中、気持ちは着実に育まれていたんだと思います。

 ライドウさんは相変わらず変な人だけど、たまに見せてくれる甲斐性に見ていてなにか好きになるだけの理由があったよね。それを覆い隠すほど普段の発想が宇宙に飛んでるのですが。7話とか、さらっとギャグのように言ってるけどあのひと阿波連さんとの老後まで真面目に考えてるんだよ。なんなの……。

 10話では表情が印象的、大粒の涙と崩し顔は完璧でした。感動ストーリーとして毎話ボロボロ落とす涙と、ここぞというとき初めて流す涙では価値がまるで違います。普段から動かない表情を見続けていただけあって必殺のシーンになっていました。

 そんな主役の2人を差し置いて、11話は大城さんの居ない日、12話は大城さんとの果たし合いと、大城さんに時間を使ってくれるラストでした。ここも本当にうれしい。

 これは個人的な話ですが、元々この手のラブコメにはちょっと苦手意識があったんです。"○○さん"と他人から見て望まれるキャラがあって、その可笑しさを指して恋愛の棚に置かれるのがどこか人として守られていない感じがして。だけどこのアニメでは大城さんという、彼氏役とは別の目線からヒロインを「可愛い」と大切に想ってくれる人が居てくれて、そのことに気持ちが救われていました。もし大城さんが居なければこのアニメをここまで好きにはなっていなかったと思います。

 そんな大城さんにライドウさんがきっちり向き合う最終回。本当はリバーシ勝負なんて甘いものじゃなくそのまま刀で切りかかってもいいくらいに思って見ていました。だけどそれも大城さん目線で*16ライドウさんの真意をはかれなかっただけで、鉄面皮の下の気持ちはとんでもない大きさになってたんだね……。ライドウさんがゲームよわよわなのも知ってるし、盤面のどうかしてる弱さにも笑ったけど、反撃の真っすぐな告白には思わず同じ反応をしちゃいました。

 全体を通して、「はかれなさ」が登場人物の間だけでなくアニメと視聴者の間をも巻き込んで生まれているのが衝撃でした。似た感想を持ったのは『SSSS.DYNAZENON』『小林さんちのメイドラゴンS』以来かも。どこまでが原作の功績かは分かりませんが、少なくともテーマを噛み砕いてアニメとして確かに伝わる形になっているのは並大抵の事でないと思います。笑って、驚いて、心を動かされた大好きなアニメです。

 

であいもん

 京都、和菓子、人の繋がりをテーマに四季を一回りするお話でした。「和菓子は季節を報せるもの」とは何となく覚えがあって、そういえば実家でも年始に花びら餅を食べる風習があったなと思い出したり。

 制作はエンカレッジフィルムで制作陣の多くは『メルクストーリア -癒術士と鈴のしらべ-』から続投。OPのゆったり立ち上がる曲調や手描き感の残る背景も大好きです。シリーズ構成は『若おかみは小学生!』『のんのんびより』など。

 まずは季節の描写が心地よかったです。情緒的な景色はずっと見ていられました。中でも夏にあたる3話は印象的で、音響と背景美術、シナリオが手を取ってものすごい回になってましたね。学校やお仕事をサボって外に出た日はこんな風にザワザワと蝉の声が聴こえるのかなとか。窓を閉じて遠ざかる音にふっと現実に戻される感じ、別れた和さんが戻って窓を開けるとまたザワザワと大きくなる音にも、佳乃子さんの言葉にしない胸の内がグッと趣深いものになっていました。

 併せて好きだったのが場面転換のときに映る背景。美しさや季節の説明はもちろん、和さんや一果ちゃんが暮らしてきた時間はここにあるんだと感じるようで。暗い過去を抱えた2人にとっても、新しい居場所ってそんなにすぐ出来るものではないと思います。長い時間の中で、例えば和さんはギターを弾く指が和菓子を作る指に変わってきて、一果ちゃんは10歳にして実の母親と距離を置くことを決められて。そして2人の関係もいつの間にかほんの少しだけ変わる。作中ではたった1年ではあるけれど、緑松や京都を背景に季節が回ること、ゆっくり時間を重ねていくことを映す優しさを見るようでした。

 純粋な嬉しさだと運動会の話も最高だったね。親の居ない運動会という激重な状況で、一果ちゃんの顔に一瞬でも影が落ちればすかさず和さんが笑いかけてくれたり。あのひと空気を察する態度に本当に嫌味が無いよね……。運動会って子どもにとって特別なもので、それを緑松の大人たちが全力で応援してくれるのが心底嬉しかったです。こっそりお父さんが和さんと親子リレーに出る気満々でいたのも笑顔でした。

 京都人らしさの描き方も的確でした。よく言われるのは「ぶぶ漬け」のような腹黒なイメージで、それも間違いではないんだろうけど、まずは気遣いが第一に大切にされるものと思います。佳乃子さんが初めて緑松に来たとき接客の心配りを正していったのとか、余所者ながら土地の人に受け入れられるだろうなと思って見ていました。美弦さんと佳乃子さんがバチバチにやり合う回も笑っちゃって。お互いに建前を飾るからといって不仲ではなく、むしろ独特な友情で結ばれて見えたのが好きでした。

 一果ちゃんは大人にならざるを得なかった子供なんだね……。最終回も、朝に姿の見えない和さんを気遣う姿は大人なのに、お出かけの服装はどう見ても子供なのが苦しくて。そんなの「和さんが約束すっぽかしてる!」って喚いてもいいじゃないですか。

 これは勝手な想像なのですが、大人びてしまった一果ちゃんと京都の風土はそれなりに相性が良かったのかな……と思ったり。相手に深く気を回してしまうことは京都なら美徳とも取れるし、仕事への厳しい姿勢も毎日手を動かして気が紛れる意味では悪くないのかも。

 緑松がすでに安心できる場所になっていることも、暮らしの居心地、出会った人との繋がり、積み重ねてきた時間を通してこその結末に思います。このアニメで見せていたものが全て込められているように美しい、「た↓だ↑いま」も肩肘張った特別な台詞じゃなく日常的に言ってたもんね。

 全体を通して、このアニメを”なんかイイ話しようとしてる”と片づける人もいるのかな、とは思います。確かに作中では顔の無い人間から悪意を受ける展開もしばしばでした。ただ京都人の性格にまで踏み込んだお話をする以上、イイ話に見えるのはある意味当然かもしれないなとも。そこから作品側としては情緒や人の温かさが滲み出るように、視聴側は言葉にしない部分も汲み取ってしっとり感じ入るような、対話のできるアニメに思いました。そういう一歩引いた振る舞いが奥ゆかしさなのかもしれないです。

 

かぐや様は告らせたい -ウルトラロマンティック-

 ウルトラロマンティック……告白のために花を並べて常軌を逸するつもりだった石上くん笑ってごめんね、他もだいたい全員そんな感じだったよ。

 このアニメは遊びの域に達していましたね。崩れないよう頑張って描くというレベルは越えて、あたり前のことは出来るから余剰部分にとことん遊び心を詰めてやろうというアニメでした。各場面で見せ方の手数が圧倒的に多く、OPサビでかぐや様がとりどりにエフェクトを変えるシーンはどこか象徴的。今回の3期は文化祭テーマなこともあり、この発想とアニメーションを見て!的なお祭りらしい楽しさがありましたね。……1期からずっとこうだった気もする。とはいえ遊びが許されるだけのお話の緩さと、決めるべきシーンは完璧に決める力があってこそなのは間違いないでしょう。

 ギャグパートでの飛び道具的な面白さもありつつ、土台となる視線誘導やテンポはどっしり構えられていたので、万人が直感的に楽しめるアニメに仕上がっていました。個人的に1,2期は芸術鑑賞するように見ていた部分もあったのですが、今回はその見やすさに甘えて娯楽に振り切って見ていました。

 基本みんなと同じタイミングで同じ顔をしていたと思います。ラスト以外に好きだったのはどこだろう、会長vs藤原さんはずっと面白かったね。あの「恋愛対象じゃなくただの我儘な子ども」って感覚、たまにあります。人だと眞紀さんが大好き、言動にいちいち共感できちゃうのも、痴情のもつれの果てに渚さんに一番大切な人だって言ってもらえるのも……そこで簡単に笑顔を返さないのも。あと3期は石上くんのにこにこ笑顔が多くてほっこりでした、よかったね。

 これは根拠のない感覚ですが、あの世界の人たちはもう作者の手すら離れて自由意志で生きてるんだろうなという気がします。もちろん怪盗Arseneの伏線回収ラッシュのようにある程度の仕込みはあったにしろ、それもどこまでがプロットで、どこまでが本当に日常から繋がった偶然なのか分からない感じがして。そんな人たちがたとえ正式に結ばれたとしても、その後もしばらくは勝手に動いて物語を続けてしまうんじゃないかな……と個人的には思います。

 

乙女ゲー世界はモブに厳しい世界です

 春アニメのENGI枠、『たんもし』『フルダイブRPG』の並びからは何かを思う人もいるかもしれないね。ENGIアニメが色々と突っ込みどころの多いアニメと言われるのは同意しますが、個人的には色々な経緯からどうにも嫌いになれず、今作も半ば見届ける覚悟で見始めました。アニメ視聴は責任感。

 制作は抜きに、まずタイトルとあらすじから異彩を放って不安だったのが今作でした。テーマに掲げてやろうとしていることが難しすぎて。今作は主に男性向けが多い転生なろうものと、女性向けが多い乙女ゲー/悪役令嬢ものを融合させた世界観が舞台でした。そこから男女の役割が逆転したお話が始まるわけですが、こういったものは双方のジャンルへのリスペクトが繊細に求められるものに思います。それだけでもハードルが高いのに、相手を馬鹿にする「ざまぁ系」のエッセンスはどう考えても相性が良くないんですよね。そんな印象があったので、期待値は低くして見ていました。

 実際、4話の闘技場あたりは視聴を続けるのがかなり厳しかったです。少なくとも私はリオンさんが王子たちを罵倒してスカッとした気持ちにはなれませんでした。お語の上でもリオンさんにヘイトを向けることを意図して描かれていた回だったので、ある程度はそういうものだと思います。ただ、元々オブラートな表現をしないアニメが悪を描くとかなり露骨に見えてしまうなという印象でした。ここも人によって感じ方に差が出るところだと思います。

 ”スコップ”ってなろう界隈で使われる用語らしいよ。埋もれてる無名の良作を掘り起こすとか、なろう以外から小説を探してくる的な意味*17。そのスコップは王子たちに向けられているから、口汚くとも一応敬意を持って向き合ってる……のかな? それからロボットはアニメ化にあたって5m→20mに巨大化したんだって、めちゃめちゃロボットを描きたそうにしてる。

 おや?と思ったのが6話~あたり、なんかこのアニメ面白いぞ……? "モブ"という言葉が物語の中心でしっかり生きていて、モブになりたい、モブだからこれは出来ない、モブだけどこれをやりたい、と最終回まで一本筋の通ったお話になっていました。

 ただのゲームキャラだった王子たちが実は心根の良い人だとわかってお茶目に見えてきたのも大きかったです。王子たちが純粋な好意を向けてくれるが故に、それを奪って自分のものにした悪役のマリエにきちんとツケが回ってくるのは古典的で笑っちゃいました。

 特に8話「私は人間、愛玩動物じゃない」の台詞はびっくりしました。同じようなことは他のアニメを見ていて思うことが少なからずあります、この人は主人公や脚本の都合のいいように動かされてるな……とか*18。そんなモヤモヤした気持ちを、アニメの中で生きているキャラクターから意思をもって直接言ってもらえたような気がして。同じく王子から言われる「お前みたいに何の努力もしてないやつが」も、もっともな台詞に思います。

 なにかを嫌いだ!と言うパワーが根っこにあるお話なので、その刃先は乙女ゲー世界だけでなく、なろう世界のご都合主義な部分にも等しく降り注ぐような感覚でした。どちらか一方をそんなの酷いよと責め、もう一方をその通りだと同意するばかりでは、作中の悪辣な貴族たちと大して変わらないのかもしれないね。

 11話の告白シーンも、王子たちの名前を並べては全部嫌いだと切り捨てていくのが妙に理にかなっていて、それがなおさら不憫で笑っちゃいました。王子たちも悪い人じゃないんだよ、ちょっとお馬鹿なだけで……

 

ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会(第2クール)

 「面白そうな事をとにかくやってみようよ!」虹ヶ咲のメッセージはここに詰まっていることでしょう。シリーズを通して”大好き”がキーワードになる中でも、虹ヶ咲はその入り口に立つようで、好きな事を始めるまでのハードルがどこよりも低いのを感じます。何かを始めるあなたへ贈る強いエール、さらに2期は何かを既に始めたあなたにも応援を向けてもらえたことが本当に嬉しかったです。

 アニメーション・脚本ともに重厚なアニメでした。見るとその日はお腹いっぱいになって満足げに横たわる日々を過ごしていましたね。展開を端から追っていくとキリがないのと、捉え方も個人に大きく開かれているアニメだと思うので、自分の好きだった所をとりどりに話すスタイルで書きます。

 まずは細かい場面単位から、1話かすみんが寄りからグルっと回り込むところ。奥行きのある自由な動きにびっくりしました。難しいことをさらっとやって見せるのが恐ろしいよね……。動きは必ずしも巧みであれば良いわけではなく、ストーリー的に重要でないシーンに過剰な演技を入れるのはかえって集中力を散らすだけだったりします。だけど、かすみんに限っては「動けば目立ってカワイイ」がどんな場面にも成り立ってしまってるんだよね。1期の初めこそ無駄の多い動きが目に付いたりもしましたが、今ではかすみんが動くたびに「かわいい~」と認めざるを得なくなってしまいました。私の負けです。

 次に5話、演劇の舞台でせつなちゃんがポーズを取った後、演劇部のしずくさんが真打登場する場面は一撃で胸が熱くなりました。まず始めにせつなちゃんのポーズだってすごく良いんだよね、もし他のアニメならこの一枚を決めのカットに使っても充分だったことでしょう。だけどしずくさんの登場シーンはまるで「本物ならこうする」と見せつけるようで、アニメが底力をもう一段隠し持っていたような凄みに圧倒されてしまいました。こういう自分が100点に思ったラインをさらに超えられる瞬間というのはたまらないものがあります。

 あらためて見ると、せつなちゃんは画面いっぱい元気に・嘘が無い感じで、しずくさんは手から役者の顔へ視線が吸われる・遠近に嘘をついてドキッとさせられるように感じます*19。それを見てる侑ちゃんもすごいよね、目が♡ってこういうパターンもあるんだ……とか、太陽の光が組み合わさってなんとなく♡で囲まれてるっぽく見えたり。何食べたらこんなこと思いつくんだろう。

 もっと単純に好きだったのは9話、侑ちゃんがミア・テイラーといっしょに頭を捻ってるところ、うれしい……。何か自分が好きなことをやるとき、こんな風に刺激し合える仲の人が居てくれたらどれほど心強いでしょう。

 2期は”大好き”が始まった続きのお話でした。1期ラストのように好きな事を見つけて始められるまでの物語は美しいし、だけどそこで終わりじゃない。次に待っているものは勉強なり、好きが義務に変わる瞬間なり、地味で辛いことだって沢山あるんだと思います。特にこのアニメは「面白そう!」で気軽にスタートできた分、いざ退屈な座学なんかを前にすると「やっぱやーめた」になっても全然おかしくなさそうで。中盤を過ぎるあたりまでは結構ヒヤヒヤして見ていました。

 そんな”大好き”を続けるには、例えばミアさんのような、同じ分野で好きなものを追究している人が一つの救いになるんだと思います。侑ちゃんが作曲の悩みを同好会メンバーに相談しても「何とかなるよ!」的なふわっとした答えしか貰えないのとか、結構リアルな反応だったよね。1期メンバーは歌うけど作曲に詳しい訳じゃないから。

 同好の中にも少しニュアンスの違いがあって、大きな”好き”を共有し合える人も必要だし、より分野の近い"好き"から意見をぶつけ合える人も必要に思います。だから2期のミア・テイラーの存在がすごく嬉しかったです。自分が何か好きなことを続けられず困ってるときは、ひとりでも悩みながら、そういう関係になれる人がいないかコンタクトを取ってみるのも一つの手なのかもね。

 ギョッとして目を見開いたのが10話『かすみん✫ワンダーツアー』です。10話は楽しい旅行に終始するむしろ箸休め的な回、部長らしさを追い求めるかすみんも面白くて、自分もすっかり気を楽にして見ていました。なのに最後、一瞬でも確実に夢が終わりそうになったよね。

 この回のおそろしさは~9話、または10話ラスト前まででほとんどの話に区切りがついていることです。8話で侑ちゃんは大イベントを達成するし、新入生同士のお話も9話で一旦ケリがついていて。さらに10話内も侑ちゃんが皆から歌詞をもらう筋書きは納まりがよく、ここが最終回でいいようにさえ見えました。

 そこで最後に線香花火を持ってくるんです。私たちの話はここで終わりだよ、と言うように。なにか困難にぶつかって夢が終わるのではなく、成功した後の安堵や楽しい日常から魔の手が伸び、満足していつの間にか夢が終わってしまうような気配で。「面白そう!」で始めたなら「面白かった!」で終わることも充分ありえるよね*20。線香花火を見つめるのは3年生の果林さんで、後の話では卒業というワードも出てきますが、このシーンは決して次回の導入に限った話ではないと感じました。

 かすみんが大量の打ち上げ花火を持って場の空気を変えてくれたのが10話のエンドでした。部長としてこれ以上の働きは無いんじゃないでしょうか。もしかすみんが部長を諦めその日は早めに寝ていたら、結末はきっと違っていたと思います。

 

 話を戻して、もう少し全体的に何が好きだったかを思い返すと、虹ヶ咲の個を尊重するスタイルは1期に引き続いて好きでした。自分が面白そうと思ったからやるだけなのに、集団に属するとか、コミュ力うんぬんが伴ってくると途端に嫌になっちゃうよね……個人的にはそう感じてしまいます。お手洗いにも人を連れて行きたくないタイプ(この例が合ってるかはわからないけど)。

 一方で、個で好きな事をやるのはそれなりに強さが求められるとも思っています。ここでいう強さは上手い下手ではなく、自分から湧いてくる苦しい感情にもひとりで折り合いをつけて、好きなものを好きなままでいられるという意味で。作中の侑ちゃんも「自分には個性が無いんじゃないか」「人と比べて自分は全然ダメだ」「真剣にやってる人たちに失礼じゃないか」と悩む姿はすごく共感できました。あのトキメキ魔人がいざ音楽科で表現しようとなると途端に何も分からなくなるのとか、めっっちゃわかる。

 その強さを突き詰めた先がショウ・ランジュという人なのかなと思います。この人大好きです。常に周りと空気の壁がある感じが孤高なイメージでした。個でいることと孤独であることは違うよ、と話が進むにつれてランジュさんの孤独はより深まっていくのが苦しくて……だけどランジュさんが信じ、勝ち得た強さだけは誰にも否定されたくない思いで見ていました。

 特に印象的だったのは7話栞子さん回のラスト。個を尊重していたはずなのにユニットになっていく面々も、大切な友達が集団に取り込まれていくのも、理由はあれどそんなのランジュさんの目線から分かりっこないよね。とりわけ7話は一人を大勢で囲む構図が多く、個人的には良くない意味での「みんなで一緒に」感が強かったです。それも相まってランジュさんの、結局は栞子さんもそっち側なんだとガッカリするような、そう出来ない自分の弱さを呪うような、あらゆる感情がない交ぜになった表情で去る姿にどうしようもなく心が締め付けられました*21

 高崎侑はショウ・ランジュに憧れていたのに、当のランジュさんは舞台を去ろうとしてしまう。こんな話は現実にも覚えがあります。あの人の絵、小説、なんでもが好きで自分も筆をとって、下手なりに少しはいいねを貰えるようになってきて、あとは憧れの人から反応なんてしてくれたら最高なのに、自分より遥か上のその人はなにか悟ったようなことを言い残して好きなことを辞めてしまっていた。なんてことはよくある話なのでしょう。

 最終的にランジュさんもグループの一員にはなるけど、その在り方にはずっと共感していました。9話のシリーズらしい真っすぐな勧誘に対しても、無理なんだ、私はどうしても上手くいかないんだ、と答えられるところも。ここで素直に手を取れるようなら個人的には納得できなかったと感じます。12話になってもまだユニットで歌うことに自信は無く、それでも前向きでいられる姿、そして個であるまま13話で皆と同じステージに立てている意味に想いを馳せてしまいます。

 

 他にも好きだったところは数えきれないけれど、私にとって一番だったのは13話の呼びかけ「(色々上手く行かないときは)私たちが居るから 元気が欲しいときは会いに来て!」です。そうなんだ……居てくれるんだ。

 同好会から部への昇格を蹴った話もあり、虹ヶ咲は”大好き”の入り口であり続けるのかな、と思います。なにかを始めようとする全ての人にエールを贈ってあげられる、1期はその力強さに心を掴まれ、2期の「次はあなたの番!」で締めるラストも同じくらい好きでした。

 2期は加えて、”大好き”を始めた1期からもう少し先の話をしてきたから、既になにか始めてる人も含めて応援できるんだね。初心に戻るというように、あなたが辛くなったときは始まりの場所で同好会がいつでも待っている。真っ直ぐな言葉がなんだか素直に胸へ届いてしまって、恥ずかしいくらい嬉しくなってしましました。これから先しんどいとき「辞める」と「続ける」の他に「虹ヶ咲を見る」の選択肢が増えたのかもしれません。それって1アニメがあなたに贈ることのできる最大級のエールだと思うんです。

 

舞妓さんちのまかないさん(25~36話)

 早いもので3クール目、一息つきたいときに見ていました。ほがらかな雰囲気も好みだったし美術にも目を奪われて。そして花街に自分の道を定めた人のお話に、芯の強い美しさを感じられたアニメでした。本当に視聴して良かったアニメだったね。

 風邪の時はうどん。すごくわかります、あれって共通の文化なのかな。個人的にも子供のころ病院に行った日はいつもうどんだったのを覚えています。だから普段クールなお母さんがうどんを見つめる場面は特にグッと来ました。

 今さらだけど、この手前の舞妓さんからつる駒姉さんの声出てくるのすごくない? 本当に綺麗だよね……。今日のまかないパートでふにゃふにゃしてるつる駒姉さんも大好きだけど、着物を着てお化粧をして舞妓になるのは一層現実離れした、究極の美しい存在になることなんだなって。舞妓になることの厳しさを目の当たりにしてなお憧れてしまいます。

 35,36話はすーちゃんの休日の話。一般人とかけ離れた生活をすることも、百花として自分が塗り替わってしまう不安も越えてきた分、普通の暮らしの方が幸せだったんじゃない?という改めての問いはどこか流せてしまえるような余裕を感じました。それはすーちゃんをこれまで見ていて、舞妓として生きていくことがもうブレないと安心できていたからかもしれません。

 キヨちゃんの買い出しの真似をするところ、めちゃめちゃ良かったね……キヨちゃんの友達としての幼いおままごとでもあり、芸事をする人の身に染みついた”まねぶ”仕草でもあったと思います。すーちゃんがキヨちゃんと料理をしてもやっぱり一般人に戻りたいとはならないし、逆にキヨちゃんが舞妓の道に戻ることも無い。だけど2人はすーちゃん/キヨちゃんとして、さらに百花/まかないさんとしても、ずっと一緒に幸せに暮らしていけるんだと信じられました。

 

ダンス・ダンス・ダンスール

 男子クラシックバレエのお話。美しさと醜さ、そして醜いものほど一層美しく見える。

 ここ最近でも有数の刺激の強いアニメでした。ハッキリと視聴者を選ぶお話だったと思います。私は好きで見ていましたが、特に終盤の方はEDに入るたびに溜め息をついてばかりでしたね。それは感嘆の意味でも、苦しみの意味でも。そもそも周りに見ている人が少なかった気がしますが、自分なりの感想としては春アニメ屈指の名作と言って間違いないです。

 ちょっと単語を並べるだけで、虐め、羞恥、育児放棄、家柄、横恋慕……と昼ドラも真っ青のワードが出てくるね。誤解が無いように言うと人が苦しむのを見て喜ぶことは無かったし、過激でさえあればいいとも思っていません。そうではなく、最も美しくあらねばならないバレエの世界を舞台に、人間の感情を真っすぐに曝け出すこと、未熟で醜いそれらがどうしようもなく美しく見えてしまうところに魅了されました。

 色々な意味での人間らしさは1話から目立っていました。キラキラしたデザインとは裏腹に、潤平さんは後に”野猿”と呼ばれるのがしっくり来てしまうほどの傲慢さ、品の無さで。正直なところ主人公が好きになれず2話で視聴が止まった時期もありました。

 見方が変わったのが3話ラスト、ストッキング被りのところ。ここを転機に潤平さんにさっぱり感が出始めて、王子役を狙う人として少しなりとも土台を固めた感じがありました。とはいえ潤平さんのバレエ入門は社会的に挽回不能なところからのスタートにも見えました。恥を忍んで女の子ばかりの教室に入る手前、既に潤平さんは失言だらけで集団から距離を置かれてるし。本当なら「あいつはヤバい」って一度噂が立ったらもう無理だよね、都さんが居なければどうなってたんだろう。

 5話が凄まじかったです、虜にされるってこういうことを言うのでしょう。自己陶酔で、全くバレエの体を成していないお遊戯で、ひたすらに無様な舞台。それなのに殺し合う二人から湧き上がる執念と憎悪の応酬に釘付けにされてしまって。一つの演技を見て醜さと美しさの両方を感じられるのがこのアニメの凄みに思います。舞台が醜ければ観客も相応で、バレエにアンコールしたり「なんか分かんないけどすごかった~」の台詞が俗っぽく、またそれも嘘の無い感情なんだろうね。割とあの場では生川先生の評価こそが正しいと思いながら見ていました。

 その後も、潤平さんが時間をかけてきちんと(あの日の演技は恥ずかしい演技だったんだ)と自覚するところも印象が良かったです。このアニメはしっかりと楽しい場面も多く、例えば6話は普段とちょっと雰囲気が違い笑顔多めで見られた回でした*22。苦しさだけじゃなくギャグで笑って、キラキラの青春にときめいて、真剣な表情にグッと来るところも沢山楽しみました。え、あの人達まだ中学生なの……?

 あとデザインが良かったです。目が大きく、首と手脚がすらっと長いのは、ともすれば宇宙人のように溶けだしてしまうギリギリのラインだったと思います。人がしっかり描けている……と一言でいえるほど簡単なことではないですが、アニメーションとして非常に見応えのあるアニメでした。

 バレエの専門知識は無くとも、演技がクラシックバレエとして美しいのか、そうでないのかは分かるように描かれていました。見るポイントは姿勢、指先、足先。他にも着地のたびにドタドタ音が鳴るのは美しくないとか。潤平さんの演技はダイナミックだけどやっぱり基本動作が出来ていなかったり、逆に上手な人はきちんと出来ているといった描き分けを見るのも面白かったです。OPについても、顔よりも優先して指先を見せるのが何をもって美しさとするかを表しているのかなと思います。

 白鳥の湖は悲劇。ならばこそ、このアニメが悲劇的な終幕を迎えるのはこれしかないと感じました。もしかしたらハッピーエンドに捻じ曲げることも出来たかもしれないけど、それは美しくない。截拳道をやっていた頃や5話の破天荒と何も変わらないのでしょう。オデットはロットバルトと結ばれ、王子は自ら愛する人を手放し、初めてクラシックバレエの住人になる筋書きでした。至高の輝きを求めるために青春も何もかも捨て去って舞台へ殉ずる姿は哀しくも気高く、なんとなく『かげきしょうじょ!』を思い浮かべるようでもありました。

 ちなみに生川の流派に染まって型に閉じていくこと自体は悲劇ではなかったと感じます。”型通り”ってマイナスな言葉にも聞こえるけど、芸の道にとっては基本こそが大切なもの、今の潤平さんは全話を経てなお”型無し”に見えます*23。だから型(クラシック)を学ぶことが必要で。逆に型では得られない身体やセンスは全部持っているのを指して「それは残酷だ」と涙を流す人がいたのも真っ当な思いでした。あの福耳の人コネで入ったのに意外と分かる人だったんだね……

ヒーラー・ガール

 1話を見てすぐ「これは掘り出しものを見つけたぞ」という気持ちでした。前評判こそノーマーク気味だったところ、ひとつひとつの画作りの丁寧さと発想から愛が伝わってきて。その後ミュージカル回あたりからはどんどん有名になり、今は随分遠いところまで来たなと感慨に浸っています。有名といっても観測範囲内だけかもしれないけど……

 制作のStudio3Hzは『ライフル・イズ・ビューティフル』など、キャラデザは『天体のメソッド』から。特に監督の色がこのアニメには濃く出ていましたね、今作も「真面目にコツコツ頑張っているアニメーターにスポットを当てたい」のが始まりにあるそう。その延長か放送後は話数を担当した方がTwitterに名前付きでお疲れ絵を出すことも多かった気がします。

 絵・音楽・医療SF……等々、見る人が何を重視してアニメ視聴しているかによって感想もガラッと変わるアニメだったと思います。個人的には絵が動くことに興味があるので、各話ごとに担当する方の個性が強く出る今作は相性が良かったです。

 絵を見て愛が伝わるってなんだろうね。答えは無いですが、一つはその絵・動きにどれだけ考えが費やされているかだと思っています。絵を動かすって本当に考えることが沢山あって、腕を伸ばせば服も釣られるだろうとか、そのとき皺はどう付く、服の材質は硬いかな、重心が変わるから全身描きかえたいけどコストに見合ったシーンだろうか……とか。その例で行くと『ヒーラー・ガール』の子はローブのような大布をまとった格好が多く、描く人の考えが直に反映される、逆に言えば下手なごまかしが効かないデザインとも見えました。

 考えて描くのはどの作品でも同じですが、特にこのアニメには絵を作る・絵を動かす楽しさのようなものを感じずにいられませんでした。あの筆圧の無いクッキリした線で上からあまりトッピングを乗せず見せつける感じ本当に心地いい。特に好きだったのは5話でしょうか、一生「線が綺麗」って言ってた覚えがあります。また線に限らず、6話の文化祭前夜あたりは効果や影のコントラストで全体の雰囲気を形作っていたのも印象的でした。確かに学校がどっぷり暗いとドキドキするよね。

 このシーンは何を写しているのか、お話の上でどう見えればいいのか、そのためにはどうやって描けばいいのか……というところを一つ一つじっくり見ては嬉しくなる時間を過ごしていました。なので春クールの中では1話分にかける視聴時間が最も長くなったアニメでした。もちろん総合的にたくさん楽しんで見られたし感想としてはちょっとざっくりですが、前述のように人によって一番に好きなポイントが違うアニメだと思います。皆の『ヒーラー・ガール』で好きだったところを教えてね。

 

CUE!(第2クール)

 はじまりのはじまり、そしてはじまりのおわりまで。声優のタマゴが声優になるまでの2クールでした。見ていて思わず応援したくなる、また放送後も見直してはあれこれ話したくなるような魅力にあふれていて、私にとっては大切なアニメになりました。原作勢/アニメ勢を問わず一定数の人に深く愛されていた印象です。以下は例に漏れず個人的な感想に過ぎないからお手柔らかに読んでね。

 2期は一部話数の絵コンテ、脚本に『Lapis Re:LiGHTs』の面々が入っていましたね。1期に比べると若干難解な演出になった気はしますが、そのぶん奥深く、見れば見るほど味わいのある作品になっていました。1期の感想はこちらから。

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 まずは13話、リエンヌがアフレコ現場に入ってるのがもう嬉しくて……。リアタイでは見てなかったので12→13話の視聴に少し空きがあり、無職組のことはその間ずっと心配に思い続けていたんです。なのに2期の始めから立派な姿を見せてくれて、すでに泣いていました。よかったね……

 無職あらため演劇組のフリートークには見事に騙されちゃいました。この子たちそんな喧嘩するほど不仲じゃなかったよね?とは信じつつ、こだわりの強い聡里さんから言い争いに発展するのが絶妙にありそうで。一礼で終わった後は力が抜けちゃって、監督さんたちと同じ表情でぽかんと見ていました。

 きっと演劇のボランティアだって無駄じゃなかったよね。オーディションに勝てたのも一時のハッタリだけでなく、演劇で培われた演技力がきちんと実を結んだからなのかなって。かつてラジオ組が「歩いている道がきっと自分たちの夢に続いていると信じて」と語ったように、たとえ声優になるため演劇をやった訳じゃなかったとしても、自分のやったことは確かに夢への歩みになってる。演劇組にとっての1-12話という長い空白期間が報われたようで胸がいっぱいになりました。

 

 14話はラジオ組らしい回でした。ふわふわで独特の空気感、でも怪しいファンにリアルで会うのはやめときな。14話からラジオ組は3Dアニメの道を進むことになりました、ただこのグループに限ってはどんな向きに進んでもおかしくないように思います。それが3Dであれ、全く別の縁であれ。まさぴーさん含むやり取りが全部アニオリでも驚かない気持ちです。

 そう思うのはラジオ組が運命に導かれるグループだから。偶然の出会いから結成して、色々な人と巡り合いながら、与えては与えられる中で段々と自分の夢を進めていく人たち。大きく言えばわらしべ長者のような歩み方をするのがラジオ組なのかなと思います。その反面流れ着く先がどこになるかは良くも悪くも分からず、少し不安も抱えながら見守っていました。

 

 15話は二世タレントの回。聡里さんは偉大な母親の光に頼らないことを選び、漠然とした憧れだった声優が自分の夢として具体的になるお話でした。AiRBLUEのメンバーは声優のタマゴではあっても、本物の声優は遥か遠い存在に感じるような、夢に対する無自覚さがどこかに見えました。7話のアフレコ現場に入れなかったリエンヌにも共通するように思います。

 聡里さん回ながら15話は鳴ちゃんにもビックリしました。リエンヌ以外に興味ないと思ってたけど意外とメンバーを思いやれる子なんだね。相手の目を見て、穏やかな口調で内側の感情を引き出して、じっと聴いてくれるのすごく安心できる。

 鳴ちゃんがわざわざ「他人に干渉しない方がいい」と言った後に、自分が聡里さんの部屋に入って天気の話を仕掛けてしまうの、この遠回しで臆病な優しさが大好きでした。天気の話は話題が無い時にすることだから……*24。実際のところ冷静に見えて鳴ちゃんがここ一番の勇気を出したのか、はたまた演劇組として過ごすうちに自然と心の壁がほだされていったのかは表情からは読み取れません。想像に委ねられる部分かなと思います。

 16話「二十歳になった私へ」、全話を通しても屈指の回でした。ここはほぼ原作のアプリストーリーままらしいよ。タイムカプセルを題材に、過去から届くメッセージ、そして未来から私に送る言葉。

 「でも、それでも大丈夫。私は、私が好きだぞ。」この一文がもうとんでもなくて。見ているとき目を皿にしていました。子供の自分はいま孤独で、大人になってもまだ孤独かもしれなくて、それでもと言える力強い肯定。それって小学生の言葉にしては背伸びしすぎかもしれません。だからギュッと抱きしめたくなる気持ちもあり、大切な指を土まみれにしてくれる友達がいる今でさえその肯定が心から嬉しかったんです。

 Cパートで過去のまほろちゃんが振り返るの。もちろん物理的に過去へ声が届く理由は無いけれど、それがラジオ組だと不思議に出来てしまうような気がするよね*25。当時の感想からはやや後付けになりますが、それはラジオが距離と時間を越えて遠くの人に声を届けるモノだからかもしれません。

 

 17話「サンダーウーマン!」は再びアフレコの悩みについて。キャラクターを演じるってどういうこと?を問うお話でした。いつも通りで自然体の演技が求められる冒険サバイバーズと違って、アヤメの演技はほのかちゃん自身が考えて選ばなきゃいけない。

 ところで『CUE!』というコンテンツはキャスト+キャラクターの繋がりが一つのテーマにあるそうで、現実のライブなら(人間の声優+陽菜ちゃん達キャラクター)、アニメであれば(陽菜ちゃん達声優+ブルームボールetcのキャラクター)と一段違いになったまとまりがありました。

 今回の17話で、ほのかちゃんがアヤメに向き合った演技を出来るのは『CUE!』というコンテンツそのものに関しても肝になる考え方だったのかなと思います。実際ラストでOKが貰えたほのかちゃんの演技は素人耳ながら感動しちゃいました。もちろんキャスト+キャラクターの向き合い方は他の全てのまとまりに共通して言えることなのでしょう。

 それから、あのアフレコ現場に漂う「いいアニメを作る」の一点で全員が同じ目的を持っている空気感が大好きです。ほのかちゃんの良い演技に引き上げられて、共演者がもう一度自分の範囲を撮り直そうとしてくれるところ。仕事を早く終わらせたいだけならその提案は出てこないよね。17話も10話の鷹取回のように周りに迷惑をかけて自責してしまうシーンが続くけれど、その苦しみも一気に報われる気持ちでした。ここでも声優はただ声を当てていればいい存在ではなく、アニメを作る一員としてきっちり完成品に影響を与えてるんだね。

 

 18話「光」、ここも物凄い回でした。幼少期からリエンヌにべったりで声優になった理由さえ「利恵がやっているから」だった鳴ちゃんの担当回。

 演劇組として過ごすうちに自分の知らないリエンヌが見えてくる、口数は少なくとも鳴ちゃんの「そうだね」「そうなんだ」からは色々な思いが窺えるようでした。すると私なんかはすぐ嫉妬や独占欲といった感情を連想しちゃうのですが、見ていくうちに鳴ちゃんのそれは、自分の人生の拠り所であるリエンヌが変わってしまうことへの不安が大きいのかなと思い直すようになりました。どこか保守的というか、あのうさぎのバッグを昔から持ってるのとか服のセンスが子供時代から変わらないのも性格の表れなのかなと思ったり。

 そして18話は鳴ちゃんを過去から決別させるのではなく、リエンヌとの変わらないものを示す終わり方でした。定命でうつろう人間と違って永遠の悪魔に救いを見てもいい。事実リエンヌは幼少期から変わらず悪魔エリスを演じ続けてるもんね。不安も含めてまずはまるっと肯定して見せること、今まで歩いてきたことを決して否定から入らないことがこのアニメの力強さに思います。

 もちろんリエンヌは本物の悪魔ではないし永遠に一緒でいられる保証もない、リエンヌが声優を辞めたらどうするのかにも答えは出ませんでした。だけど鳴ちゃんがそれでも上手くやっていけそうな兆しは既に出ていて、それは15話で自分から聡里さんの様子を見に行ったことなんだと思います。リエンヌは鳴ちゃん含めメンバーのことなら何でも把握してそうだけど、実際あの場面を目の当たりにしてたらどう思ったんだろうね。自分の知らない鳴がいると思ってくれるのかな。

 ずっと一緒にいるという短冊、そしてあの奥の方にある短冊も二重の意味で印象に残っています。先の見えないものだからこそ、願いをかけて祈るんだよね……

 

 19話は……さらに演劇回?! 1期で出番が少なかったぶん、2期は演劇組とラジオ組に多くスポットが当たって中でもリエンヌは第二の主人公みたいだったね。

 リエンヌがリーダーとしての適性に悩む回。とはいえ、周りがよく見えて物事を進められる子なのは12話*26をはじめに伝わっていました。そういえばOPも紙飛行機の先頭に立っているのが基本リーダーなんだね。ただ演劇組だけは例外でリエンヌが一番後ろにいる、他の人を見渡せる位置にいるのがいかにもこのグループらしくて解釈一致でした。

 19話で特に印象的だったのが公演後の舞台を振り返るところ。さっきまで居た場所がなんだか急に小さく見えてきて、それはきっと演劇組自身がこの箱では収まらないほど成長した証なんだと思います。特に演劇組は2期で見違えるほどの大躍進を遂げていて、無職だった昔からは随分変わってしまったとも思います。

 だけど変わらないものをもう一度見せてくれるんだよね、それがあの締まらないお別れで。7話ラストのときは今後チームがまとまれば一致団結の仕草に変わるんだろうな~くらいに思っていました。だけどそうではなく、むしろ環境が変わっていく怖さの中で自分たちを確かめ合える仕草になっていたのが見事でした。

 変わる変わらないの話って先の18話とも似ている気がします。18話では鳴ちゃんとリエンヌの変わらないものをやった後、19話で改めて演劇組の4人へと帰結する感じ。本当ならギュッと1話分にまとめることも出来たのかもしれませんが、ここにじっくり時間を使ってくれたことがすごく嬉しかったです。

 それというのも、変わる変わらないって結構はっきりとしないテーマに思うんです。もちろんリエンヌが「我は変わらない」と言ってくれたら嬉しいけど、それを1話分で言うのか、2話分でお互いに確かめ合うのかでは、なにか信じることへの強度が違う気がして。確約された未来なんて無いし、2話分を使ってもなお不安だけどそれでもきっと……と思えるかもしれない。そういった抽象的なところも含めて2クールの功は大きかったと感じます。

 20話はラジオ組の総決算、この回もびっくりしました。正直な所ふわふわした印象だったラジオ組のお話がこれほど美しく収まるとは思っていませんでした。ラジオ組に「いつもこのアニメを見てくれてありがとう」って言われるとなぜかドキッとするよね。

 美晴さんは本当に居なくなるんだ……と思って見ていました。ピアノの夢が真剣だと分かるほど、この人は誰にも止められないんだと。それが確信に変わったのが「はじまりの鐘の音が鳴り響く空」のBGMが流れたときでした。前の19話では演劇組が舞台をスタートラインに見立てたのに続けて、美晴さんの定めたスタートラインは声優とは違う場所へと続いているようで。

 このアニメは夢に対してシビアな描き方をすることも多い印象でした。オーディションも全員受かるわけじゃなかったり。そういう雰囲気も相まって全員が揃ってライブに出る光景は無いのかもね……と頭によぎりました。それだけならまだしも、運命的な出会いで成り立ったラジオ組だからこそ、人の別れによって解散まで繋がるのも自然なことなのかなと思ったり。

 最終的にはラジオ組らしいとんちの効いた返しで解散を免れました。だけど最後、夜の日本と昼のウィーンの間で声を届けられる/声が届くところが凄まじかったね。正しく時間と距離を越えてる。個人的には何となく好きだった「おはよう、こんにちは、こんばんは」の口上がバッチリはまったシーンでもありました。やっぱりラジオ組って今までこういう話をしてきたんだなって。

 1期の頃は風船のようにどこに辿り着くか分からない、今やっているラジオすら無意味かもしれない、歩いた先が未来に繋がっているかは願いでしかない人たちでした。それが2期では本当に別のところへ飛んでいく人もあり、ラジオは確かにその意味を成して、こうして声優として夢の前にまで立っている。そのことがどうしようもなく嬉しかったです。

 余談だけど、ピアノ留学へ行く美晴さんを乗せた飛行機が上を向いて飛んでいるところも嬉しかったです。私は『Re:ステージ! ドリームデイズ♪』のオタクなので混線した感想を言うのですが、あそこのスタッフが”夢”に向けて”飛行機”を飛ばすのは最大級のエールに思います。

 

 21話は久しぶりにアイドル組、悠希ちゃん回でした。今までの担当回では誰か1人が崩れれば他の3人が支えてくれるところが共通して、また解決の糸口に「おいなりさん」「クレープ」「ミルクセーキ」と食べ物が入るのも特徴的でした。

 同じように21話も「お茶」が渡されるところ、それでは解決できないと拒絶されるのが今回のお話でした。かなりヒリヒリした回だったけど、今の悠希ちゃんはニセモノなんです!からいつもの調子に戻っていくのが少しだけ救いだったね。ただ実家の問題はアイドル組が話し合ってどうにかなる範囲を超えていました。実は柚葉ちゃんの「人を100人雇えばいいじゃない」がズバリかもしれないけど、そんな訳にもいかないよね。

 解決は出来ないにしても、一番に身を乗り出して心配してくれるのがあいりちゃんなのがまた嬉しかったです。4話のとき悠希ちゃんに助けてもらったのはあいりちゃんだから……このアニメ、誰かに受けた恩はずっと覚えててお互いを思い合う感じがすごくいいよね。他にも17話の志穂ちゃん・ほのかちゃん、18話の聡里さん・鳴ちゃんあたりも。

 どうしようもない問題にぶつかって、初めて大人の介入があるのがいい塩梅でした。10代20代の子を支えてるのは当人同士だけじゃないよね。周りの大人たちや視聴者目線からも、AiRBLUEのメンバーはまだまだ先行き不安でなんとか成功してほしいと願ってしまいます。もしあの子たちが立派なステージを見せて安心させてくれる日が来たら、どれほど嬉しいことでしょうか。

 

 そう思っていると22話で大一番のライブが来るんだよね、構成が上手すぎる……1クールであればここが最終回でもおかしくないほどの回でした。

 ライブの話をする前に、このアニメではメンバー達が住む寮の遠景がよく使われていました。個人的にあのカットがずっと好きだったんです。はっきり理由は分からないのですが、夢を追う人たちが集まる場所だからなのか、いつか巣立つかもしれない声優のタマゴ達が一緒に仲良く暮らしているのが好きだったからかもしれません。

 その寮のカットがAパートの終わり、いざ夢の舞台を前にぐーっと視界が持ち上がって空が映る。ここを見たとき何か得体の知れない気持ちで一杯になりました。ついに始まると期待するような、その反面怖くてたまらないような。ごちゃ混ぜな感情の答え合わせをしてくれたのは理央さんだったかもしれません。もーーー気が気じゃない、お願いだから派手な失敗しませんように……って一緒に手を合わせて祈っていました。

 そしてライブ、あの客席に居たのは私たちでした。無量坂先生、斉田さん、まさぴーさん、真咲社長……今まで関わってきた大人たちも皆見てる。ただ茫然と画面を見つめて涙を流していましたね。ちなみにあのアニメ化発表のところは現実のCUE! 1stライブの完全オマージュらしいよ。リアルイベントには居なかったけど、あの景色を見た視線も、発表の後もう一度湧き上がる歓声も、きっと私でした。

 

 23話、最短のアバンに笑っちゃいました。

 丸山利恵の凄さが世の中に見つかっちゃった……。23話はブルームボールの最終回でもありました。1期でメインだったゲキアツ高校(アフレコ組)の前に”最強の刺客”を名乗って並び立つのがユピテル学院(演劇組)なのがまた良いよね。

 今までのアフレコと違うのは難しいスズカの演技に一発OKが貰えたところ。監督たちも居残りさせる気満々だったし、視聴側としてもとことん付き合う気持ちでいました。だからリエンヌがきっちり仕上げられたのはちょっと意外で。ここは後から見直すほど色々面白い場面だったなと思っています。

 単に同じ厨二病キャラでリエンヌとスズカの相性が良かったのは間違いないでしょう。真面目に悩むと空回るけど、悪魔エリスの体験を元にした演技ならOKが貰えるかもしれない。リエンヌが体験型の演者なのもあらかじめ見えていて、例えば13話で何回もNGを出した「助けてください」が生活の中だとすんなり言えるところからも窺えました。

 もう少し大きく見ると、この23話でAiRBLUEのキャストが"声優のタマゴ"ではない"声優"として成熟している証なのかなとも思います。その代表としてアフレコを飾ったのがリエンヌで。演技についても、少なくとも今まで指摘された所は全てこなしていないと斉田さんはOKを出してくれなさそうです。そうすると実は17話ほのかちゃんが悩んで乗り越えたことを演劇組は13話のフリートークで既にやっていて*27、また10話で舞花ちゃんが叱られたように「自分が」に加えて「スズカが」どう思うかを考えた演技だったと思います。少し想像の域にはなりますが、声優としてアフレコをする集大成のひとつが一発OKだったのかなと感じました。


 24話「はじまりのおわり」は曇り空。今まで声優のリアルな事情を描いてきたアニメでしたが、終盤は特にこの業界の見通しの立たなさ、個人で仕事をする不安や寂しさにも正直に向き合う話だったと感じました。

 あれだけの大舞台を成功させたのに意外と変わり映えしない日々。そりゃ何かを1つやって今日から人気声優に変身!なんて訳ないよね。だけどAiRBLUEのメンバーは確実に前進して見えて、例えばProject Himmelのアニメ化が1年後で遠いなんて言うとき見上げるものはシャンデリアだったりする。今まで見上げていたものは手の届かない月だったから……。陽菜ちゃんとリエンヌが名指しでオーディションに呼ばれているのも嬉しかったです。もうAiRBLUEは"鷹取がいるところ"とは呼ばれないんだろうなって。

 進んでしまうことが不安で、目指すものが何なのかも不明瞭で、夢は決して無責任なファンタジーとしては語られず、気持ちは灰色の現実へ投げ出されるようでした。そんなときグループを越えて話し合える人が居るのが本当に心強いよね。舞花ちゃんの「道は違っても帰る家が一緒なのなんか良いっすね」がなんだかすごく嬉しくて、自分が勝手にあの寮へ感じていた期限付きの暖かさをAiRBLUEの人も感じていたことに胸がギュッとなりました。ただいまって帰るとラジオ組が話してるところにすれ違うのも……そうそう、この雰囲気が好き。

 桐香先生の言葉を借りるなら、声優にとっての最終回はこの役を二度と演じる機会が無い思いで臨むものなのでしょう。色々な重みを感じざるを得ない大変な台詞でした。

 後半は朗読の形をとった終わり方。声優アニメとしても、『CUE!』というコンテンツが大切にしてきたものとしても万感の最終回でした。これまで各々のグループや個人でもやってきたことは違うし、何が出来れば声優なのかも答えが無い。空は雲がかかって未来がどうなっているかも分からない。けれどもこれまでやってきた事は着実に積み重なっているし、思いを声にして届けることで、今この瞬間「私たち声優です」と胸を張って言える。泣いていました。

 アニメの最終回としてはかなりしっとりしたエンドに思います。だけど夢に対して現実的な姿勢で向かってきたことは一貫していて、アニメ全体の力で説得力のある最終回になっていました。声優になり未来へ踏み出したAiRBLUEの今後は語られるべきドラマではなく身近な日常になっていくのかな。

 全体を通して、まずは2クールの使い方がすごく良かったです。アニメである以上どうしても省略はしなければならないものですが、その上で必要な場面にしっかり時間を取っていた印象でした*28。それから担当回の使い方も理想的で、1人が目立つ中でも他メンバーの性格を含めて分かるようになっていました。ここは16人というキャラ数を捌き切るだけでなく、各々が同じではない個性を持って見えるところに大きな意味があったと感じます。また個人的に大切な思い出のある『Re:ステージ! ドリームデイズ♪』『Lapis Re:LiGHTs』の息吹をアニメの端々に感じられたのも大きかったです。

 放送後にもう一周したり、原作勢の方の話を聞いたり、感想を書く時もさらに見直したりしましたが、それでもまだ見るたびに面白さが発見できる作品でした。少なくとも私にとっては一生忘れることが無いだろう、大切なアニメです。

 

終わりに

 春アニメは0話からビッグタイトルが並び、胃もたれ覚悟で身構えていたところ、思いのほか楽に見られたクールでした。『まちカドまぞく』『SPY×FAMILY』『かぐや様は告らせたい』あたりは完成されていて(ギャグなのも相まって)むしろ見やすかったです。『虹ヶ咲』は相変わらずハイカロリーな視聴だったけど。どれも贅沢な視聴体験でした。

 また春は伸びのクールでしたね。『阿波連さんははかれない』を筆頭に『勇者、辞めます』『処刑少女の生きる道』『ダンス・ダンス・ダンスール』『乙女ゲー』あたりは途中で視聴を辞めなくて本当によかったと思います。

 前期に引き続き『CUE!』は1日かけて24話を一気見したりと特別なアニメになりました。こうやって自分の中で大切なアニメが増えていくのは心地いいです。

 感想は個人のもので決めつけるものではありません。自分自身で感じたことが何より尊重されるものと思います。春アニメもとても楽しい時間を過ごせました。

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*1:https://youtu.be/POVH4ckZGYE

*2:https://www.youtube.com/watch?v=IlI97svk-Hw

*3:英子さんも無意識では諸葛孔明を巨大な存在に思いながら

*4:https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geinox/147030

*5:少なくともアードさんにとっては

*6:いつもやらかしてる公務員の人

*7:シーンの使いまわしも、このアニメならまた知らないうちに時間が戻されてるんじゃ・・・?! と要らぬ勘繰りをしてしまったね

*8:と言うには大きすぎる事件だとしても

*9:ところでメルネスさんに軽率にメイド服着させるのは好きなやつでした…

*10:https://seiga.nicovideo.jp/comic/37305

*11:https://seiga.nicovideo.jp/comic/43050

*12:監督クレジットが南原玖宇 → なんばー9でいわゆる架空名義。あまり勝手な想像をするべきではないですが、責任者の降板など何らかのトラブルが起こった場合に使われます。そんなとこまでタイトルに寄せなくていいよ……

*13:ありがとう……

*14:モブ顔の人

*15:こんな言い方は馬鹿っぽいけど……

*16:もしくは私たちの目線で

*17:厳密に決まってる訳じゃなさそう。

*18:ただ、だから嫌いという訳でもなく、そういうものなんだと思うくらいです

*19:ちなみにどちらが単体で優れているという話ではありません。登場した順番や雰囲気作りの諸々を含めて、しずくさんの凄みが浮き彫りになり、印象に残ったのかなと思います。

*20:サークル活動で仲間と騒ぐのが楽しすぎて、本来自分が好きだったはずの活動内容を見失ってしまう。なんて話もよくある事だと思います。

*21:この時はまだ伏せられていたけど、他人の気持ちを量るのが苦手なランジュさんが友達のアイドル志望にすら気付けなかった情けなさ……もあるのかもね。

*22:体操ザムライの脚本の方らしいよ

*23:もしくは動画から適当に拾ってきた見よう見まねの動き

*24:詩的で美しい台詞でした。個人的には(なにか目的を持って来たわけではないよ。自分が他人に干渉されるのは嫌だし、その行いを自らする訳ではないけれど、でもあなたのことが心配だよ)くらいのニュアンスに捉えました。

*25:声に出さず自分の胸に語りかけたCパートは、直接の手紙の主に宛てたのではなく、ニ十歳のまほろちゃんの内に残り続けた子供の自分に向けた伝言なのかな……とも

*26:ブルームボールの鑑賞会をするとき一人だけ座席のことを気にしていたり

*27:ユピテル学院は完全無欠の設定だったのを言い争いもするグループだと再解釈して、キャラクターを無量坂先生から引き出したところ

*28:あくまでアニメを見た限りでは