2023冬アニメの感想(その4)[終]

冬アニメの話しよ!

 

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人間不信の冒険者たちが世界を救うようです

優しさのアニメだ……。小気味いい脱力感、コンプレックスに触れる描き方、必ずしも立派には生きられなかった人にも救いが残っていること、全体を通して包まれるような優しさが一本通っているのを感じました。冬では『ろうきん』と並んで期待を寄せたタイトルでもあります。

 

信頼って大切だよね。そうそう、オレたちは互いに信頼し合う仲間だ! とは古今東西の物語が言っています。実際に大切だとも思います。

だけど、「信頼=仲間」と言われるとその限りではない気もするんですよね。これは独特な感性なので共感されにくいかもだけど、相手に全幅の信頼を置かないからって仲間になれない訳じゃないし、案外そういう関係って悪くないものです。少なくとも「不信が芽生えたからお前はもう仲間じゃない!」っていがみあい、監視しあう仲よりはずっと清らかで強い関係性じゃないかな。

だからこのアニメは関係を指して「信頼」ではなく「絆」って言い方をするんだよね。すごくピッタリくる言葉。この辺りにはかなり納得できる思いがあったおかげか、しみじみとこのアニメを見られた気がします。

 

1話、4人が酒場で顔を合わせて個別回想に入るところから。テンポ感にこそ賛否があるかもしれないけど、わたしはここがすごく良いと思って見ていました。

というのも、4人ってそもそもが相手に心を開けない人たちだから、初対面から意気投合すること自体まず難しいんだろうなって。本音で話すためには、たとえばお酒の力を借りなければいけなくて。しかも「相手のことを知りたい」なんて思う段階ですらないから、内容といっても対話ではなく、各々が自分語りをするくらいしか無いのかもね。

人への解像度がやたらと高く、しかも単に人間不信というキャラ付けをする以上に、傷ついた人を扱う手付きの柔らかさを感じてしまって。この1話から期待度がぐんぐん高まったのを覚えています。

印象的だったのがこの広いテーブルとお粥です。めちゃめちゃ寂しい。でもニックさんは必ずしもこの机を"信頼し合う人"で埋めたいとは望んでないし、お話もまたこの席を埋めるのは信頼でなくてもいいと返してくれるんだよね。*1

 

パーティになって真っ先に決めることがお金の管理なの良いよね、どんなに親しい間柄だろうとお金が絡むと破綻しうるから……。「大事なもの預けられないならウチらのこと信頼してないってこと?」みたいなやりとり、本当に不健康だよね。

4人はすでに上っ面の信頼には散々傷つけらていて。そんな人たちがまた信頼をやり直すのではなく、4人は元からお互いを信頼しないし、それとは別にキチンとするべきお金の事はキチンとしましょう、と続くところに気持ちが救われるようでした。

 

ところで『人間不信』アニメでは爆弾級に好きだった要素が2つあります。

1つは距離の取り方。お互いが並んでてもちょっと隙間が空いたり、同じ画面には入らない感じ。他だったらこれは不信や仲違いの印だけど、このアニメに限っては優しさの記号に変わってしまうね。他人に臆病にならざるを得なくなった人に用意してあげられる距離感。

……実はその一方で、話数が進んでくるうちにうっかり仲良しな構図に収まっちゃうこともあるんだよね。レオンさん*2のセリフを借りるなら「それを仲間って言うんじゃないのかよ」って。あの人たち自分が外から見てどういう風に映ってるのか気付いてないよ……!

 

2つ目に好きだったのが、4人が各々ひとりで楽しめる趣味を見つけていることです。

人間不信って、言い換えれば「自分以外に自分を守ってくれる人を作れない状況」なんだと思っています。傷ついた自分を癒すにも自分が何かする必要があって、他人から愛してもらうだとか、そんな機嫌ひとつで振り回されるような危ない手段は取れない。それは「他人が嫌いだ」という話とは別のものです。

4人が本当にそんな状況かは分からないけど、少なくとも4人が趣味を作り、最後まで尊重する向きに進むのは見ていて衝撃的でした。自分を救うための手段だよね。たとえそれがギャンブルや夜遊びだったとしても。*3

趣味の話だと3話、カランさんの回が特に好きでした。世界一優しい人だよね……。カランさんほど根の明るい人が、自分の幸せを他人に依存させながら苦しんで生きるんじゃなく、まずは自分ひとり分くらい幸せにしてあげられる趣味を見つけることが堪らなく嬉しかったです。

 

人生転んだニックさん達だって幸せに生きていい、信頼に裏切られて辛いなら無理して信頼しなくても仲間を作れる、距離も取りな、ギャンブルしたっていい。そういう許しの力がこのアニメの底を流れていた気がします。

だけど「許し」と「甘え」もまた近い場所にあって、その境界はひどく曖昧なものです。なんでも許してたら落伍してしまうね。

ここに誠実に向き合う目線があったのにもグッと来ました。例えばレオンさん、ステッピングマンは一線を越えた後の人で、「最初は悪人ではなかったのに、自分の中のモラルを緩めていく度、いつの間にか悪になった」という表現は妙に生々しく感じました。

その意味ではニックさん達も大した違いは無くて、何となくこの先で善にも悪にも転びうる崖の上を歩いているようで。不安半分な気持ちから、自然と見守る姿勢にさせられていました。

 

罪と罰の扱いはかなり慎重だったと思います。悪いことをしたレオンさんは最後まで牢に繋がれたままだし、ゼムさんを陥れた女の子の顔が晴れることもありませんでした。

だけどこのアニメが本当に優しいと思うのは、過ちを犯した人でも綿飴くらいなら食べていいし、花火を見るくらいは許してあげられるところ。ニックさん達がこの先どうなるのか、もしかしたら人生さらに複雑骨折するのかは分からないけど、このアニメの優しさになら行く末を任せられる気がするんですよね。

そういえば倒すべき魔人って何なんだろう。人々が間違えながらも足掻いて生きてる世界で、魔人が一人だけ絶対悪なんてことがあるのかな。こればっかりは今は想像するしかないね。

 

このアニメって「世界を救う」のスケールとは反対に、良い意味で狭い範囲の話をし続けてるのかなと思って。

モノローグこそ「いつの日かこの者たちが世界を救うことに……」って言うけど、それは神様の視点であって、本人たちは知る由もないことです。それよりもまずは視界を近く狭く、自分のことに絞って、傷ついた自分ひとりを救うことを頑張らなきゃいけない。

そこで嬉しかったのがキズナさん、オリヴィアさんの存在です。ニックさん達が自分で精一杯な分、もっと長い目線で見守って、道を外れそうな時だけそっと正してくれる人が付いててほしいよね。ただニックさん達はもう大人なので、見守る役は保護者ではなく長命な仙人のような存在なわけです。

 

見れば見るほど良いアニメでした。シーン単位でも好きな場面はたくさんあって、ニックさんアゲートさんが背中合わせで語り合うところ*4、ゼムさんを子供から守るところも大好き。

誰かを簡単に信じる怖さを誰よりも知っているアニメだから、サバイバーズのこれからをただ楽観して信じることもできません。それでもニックさん達を囲む世界が限りなく優しいこと、見守ってくれる人が付いているからこそ、その先を信じたいと願えるアニメでした。

 

テクノロイド OVERMIND

喜び 苛立ち 悲しみ 𝓢𝓪𝓾𝓭𝓪𝓭𝓮...

アンドロイド×アイドル、原作はスマホゲームで一定数の人に深く愛されているタイトルでした。知ったのはアニメからだけどすっかり好きになっちゃった。

制作は動画工房、原案には『ヴィジュアルプリズン』で見た名前が入っています。例のごとく楽曲がすっごく良い。ところで配信で見てる都合でCMを知らないんだけど……何か共通点があったりする?

 

全体的にシンプルで見やすいお話に思いました。SF設定も変に難しくせず、それよりは4人の心の在りようを本筋にしてくれるのが視聴に優しかったです。

不思議なことに、見ているうちにKNoCCのことがどんどん好きになってくるんだよね……。始めの頃こそ、ロボット全開のコバルトさん達を応援の対象にしていいかは少し難しかったです。心が無いなら空っぽの人形に熱をあげるのはちょっと恥ずかしいし、逆に心があっても始めから人間でよくない? になっちゃいそう。だからどう進むのかは期待半分、不安半分でした。

誰かを応援したいって思うとき、外面もあるけど、内面がどういう人なのかを気にするよね。KNoCCは内面が0からのスタートでした*5。ただ人の心が無いアンドロイドを扱うからこそ、逆に気にしている内面、心と呼ぶものをダイレクトに感じられるアニメだったんだと思います。

 

3Dのステージがすごく良かったよね。普通なら手描きの愛がなんだと言われるけど、このアニメでは3Dでやり通すことに意味があったと思います。

事実KNoCCはアンドロイドだし、機械っぽい動きをするなら3Dは妥当で、観客席から見たときの(結局ロボットなんでしょ?)って目線にもシンクロしていました。

ただ12話までたどり着いた私たちは、あの3Dから”見えないもの”が見えるようになっているはずなんです。つまりKNoCCの歌うステージに”心”があること。

アニメって映像で、映像は見るものじゃないですか。なのにアニメを見て、どこにも描いてない心が確かに見えたという感覚が凄まじくて。ちょっとこの体験は今までに無かったものな気がしています。

ステージ上で心を込めて歌う……なんて、本来は嬉しいことなのに、それが人間ならどこか当たり前に思っていたのかも。だけど元は心を持たないコバルトさん達だったからこそ、心を込めて歌うことの輝きを再確認できた気がして。

それはさっきの「始めから人間でよくない?」を異にすることです。そして生まれたての心は誰よりもピュアで、守らなきゃいけないもので……このステージにあるものを見て、わたしは初めてペンライトを握る手に迷いが無くなりました。*6

 

12話はこれに終わりません。びっくりしたのが最後、KNoCCがそれぞれ自由にやりたい事を考えるシーン。他のみんなは元の人格と同じことを思い浮かべるのに、コバルトさんだけは養護施設じゃなくステージに立つ自分を思い浮かべるの。

そんなのもう応援するしかないじゃないですか……。人間だから / 機械だからを越えて、心を持った一つの存在から憧れが芽生えてしまったんですよ。わたしたちに出来るのはせめて、輝きたいと願った人の視界に1つでも多くの光を増やすことじゃないですか?

 

大好きなアニメでした。身も蓋も無い話だけど、嗜好的に人間ではない存在(妖精・悪魔・アンドロイドとか...…)が完全NGではなかったのも幸いしていた気がします。

OVERMINDは原作から10年前の世界で、大人になったエソラくんがいるのが本来の舞台らしいね。えっえっ、じゃああのイケてる長髪白衣の人の可愛い時代をずっと見てきたってこと?? ほーーん…………

 

吸血鬼すぐ死ぬ2

可愛くて可愛くて、大好きなアニメでした。どんなに落ち込んだ日でも視聴後には決まって満開の笑顔になれたよ。シンヨコの大きな5歳児たちがいかに愛らしいかを語り合ったのも楽しかったね。

OPの ♪ダンスホールナイト の部分をずっと ♪ダンス放題 だと思ってました。♪ダンス放題~

放送当時はリアルシンヨコへ遊びに行ったりもしたよ。なんだかもう懐かしいや……。

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めくるめく変態のバーゲンセールで大笑いしたり、いい大人たちが幼さ全開でじゃれ合うのを眺められる最高の時間でした。このアニメのことはもう完全に信用していて、出されたものに身を委ねては揺れる心地良い視聴ができました。

そうして見られるのって、シンヨコの人たちが土台ではきちんとした大人だと信じられるからだと思うんですよね。どれだけ変態でも、迷惑でも、本当の意味で周りを傷つけるような人は一人だっていないよ。たぶん一番に加害の意思があるナギリさんでさえ、ここがシンヨコな限り安心して見れてしまいます。

 

半田さんがバリバリに仕事できる人だったのも嬉しかったよ。別に仕事できないからって嫌いになったりはしないけど。『吸死』の人たちって基本的にみんな素のレベルが高くて、優秀で、黙っていればカッコよくて……そんな誇らしいものを一つずつ台無しにしてハメ外すから笑っちゃう。

そんなノリで全部崩していっても、最後に一枚岩で残るのが最低限の倫理ラインなんだよね。たとえ局部を露出しようと、「子供を危険にさらして放置する」みたいな一線は絶対に越えない。すると、逆に本来の誠実さや大人らしさな魅力に磨きがかかって見えるんです。ズルいな~~。そういうわけで登場人物への好感度はピカイチに高かったです。

 

大笑いで見てもじっくり見ても味わいあるアニメで、ほんの些細なところにも思わぬ含みを発見しては、色々と想像力をかきたてられました。

たとえば好きだったのがVRC回のドラルクさん。サテツさんが吸血鬼化する回です。割と洒落にならない状態*7の人を見て、最初こそ周りと同じようにびっくりするものの、ドラルクさんだけがすぐに表情を持ち直すんですよ。

なんか……一緒に過ごしていた人が狂ったり、喪ってしまうことに慣れ過ぎているドラルクさんを見た気がして。長命/短命のすれ違いなんかはあまり表立って言われない分、些細なことで妄想が捗ってしまいます。一件落着した後にやっといつものギャグ顔を見せてくれるんだよね……

 

特に印象的だったのは4話、ドラルクママが迎えに来る回です。ママの「気づけば大人になってしまっていた」って台詞はこの手の話ではありがちかもしれません。

ただ『吸死』に限ってはそうでなく……ドラルクさんって必ずしも大人ではないんだよね。年齢こそ重ねているけど、DSで遊ぶ姿 ⇒ QS5で遊ぶぞ!って息巻く姿はそんなに変わらなくて。今のドラルクさんを見て「大人になった」と言うのが、逆にドラルクさんのことを理解していない台詞のようで肝が冷えました。

じゃあお子様は保護しなきゃいけないよね……と続きそうなところ、母の他にもお友達がいて迎えに来てくれること。その人たちがドラルクさんと同じ目線で理解し合っていると信じられるからこそ、安心して背中を見送ることが出来るのかなって。これは無いけど、たとえば粗暴な言い方をするロナルドさんが危険人物に見えたら、ドラルクさんを手中から離さないと思うんですよね。

子供でも大人でもあるドラルクさんを前に、親目線の話をするのってすごく難しいと思うんです。なのに4話は短い中で、ドラルクさんが子供を秘めたままでいられること、親が子供を見つめる目を卒業せずに済んでかつ安心していられること、誰もが幸せでいられる結末がギュッと詰まっていて思わず息をついてしまいました。

 

シリアスもあり、とはいえ基本ずっと笑顔でした。しかも2クール目はお子様する回も多くて……1度ならず2度までも! ふふん、そんな見え透いた釣り針にかかると思ったら大間違いだよ、めちゃくちゃキャプフォルダが潤いました。

終盤は叔父ドラが魔性の力でシンヨコを手玉に取る回もありました。そういえばさっき変な黄色スーツとすれ違ったのとは関係無いのですが、ここだけの話ドラルクさんにも魔性の才能は十分に備ってると思うんですよね。お指がさ……たまに映るドラルクさんのお指を見た? その気になれば自分も同じくらい魅力で周囲を操れることを自覚してほしい。嘘、ドラルクさんにはそのままの純粋なドラルクさんでいてほしい……

 

ラストもすごく良かったね。何も無いただの部屋なのに、2人と1匹がいるだけできっと毎日が楽しくて仕方ないんだろうなって。そう自然に思えてしまうほど、毎週見るシンヨコの楽しい日々に浸ってしまいました。たぶんカメラが回ってない時もずっとあんなやり取りやってるよ。

 

不滅のあなたへ Season2(33~40話)

王都レンリル編~時代の終わりまで。一度見ると次を再生する手が止まらなくなるアニメでした。サールナイン島~ウラリス王国編はこっち。

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最初は家をぽこぽこ建て替えてるのが妙に印象的でした。今までになく時間をかけてノッカー対策ができる反面、なにか取り返しのつかない事をしているような恐ろしさもあったね。お城までもが崩れていくシーンでは、青空が広がっているのがむしろゾワッとしました。

結局この大改造は「家を壊して建て直す」のと「人を殺して作り直す」のは何が違うの?っていう対比、問いかけだったのかな。

確かに中盤、何度でも蘇らせられる不滅の戦士たちの登場で、人の死は急速に安くなっていきました。これを許容するかの倫理観、また人を生き返らせる(=死の苦しみをもう一度味わわせる)ことの是非……といったものが今回の軸だったと思います。

この問いにはうまく答えられません。もしくは人智を越えた神様だけが判断を下せるのかも。

ただ人の身で言えることがあるなら、生き返ったグーグーとまた料理を作れたり、ニクソンとフェンが楽しそうに足でステップを踏むのを見たときは心から嬉しかったね。

 

身構えてはいたものの……どうしようもない絶望に苛まれるのもこのアニメの一面でした。

前回の感想では、フシが快挙を成し遂げたウラリス編に続いて、レンリルも同じように救えるのかを気にしていました。だけどそんな易しい話では無かったんだね。敵はそもそも無限沸きだし、最初から毒を使ってくるところは肝が冷えました。そこの兵士、楽勝フラグ立てるのやめな……!

 

一瞬で背筋が伸びたのがここ、アルメ王女とメサールの向き合うシーン。これ1期でリーンとグーグーを幸せから突き落とした時の構図と一緒だよね……強烈に印象に残っていて反応せざるを得ませんでした。このアニメの崖って本当に洒落にならない。

なんでアルメ王女の魂は現世に残らなかったんだろう。もしかしたら王女はメサールに少なからず特別な想いを寄せていて、それが現世で結ばれることは永遠に無いと知ってしまったからなのかな……って。

2人は血の繋がった兄妹だけど、王の遺言*8を聞くまで王女はその真実を知らなくて。きっと……「また一緒にゲームをしましょうね。兄さん」よりも、伝えたい言葉はあったんじゃないかな。

だけどメサールは真面目だから言われたことを鵜呑みにして、一緒にゲームがしたいなら魂は留まっているはずと信じ、妹を生き返らせようとしたのかもしれない。救いが、無いよ……。


ただ『不滅』の面白さは絶望の濃さだけじゃなく、楽しさ、可愛さ、カッコよさも同じくらい魅力的なんです。

ウラリス編が幸せなお話だった分、アイリスさんたちの顔を見ると気持ちに光が差すようでした。ポコアちゃんもいてくれるだけでだけで世界がパッと華やぐよね。こんなに良い人たちを残してるんだからボン王子は絶対に生きて帰ってよね……。三戦士の見得切りもめちゃカッコいい。

 

最終回の話。まさかこんな光景をもう一度見られるなんて……!たまらなく幸せでした。マーチが頭に箸を差したときは「これは頭かゆいかゆい棒よ!」って言ってた記憶がとっさに甦ってきたり。

フシが食卓の真ん中に座って白いシャツを着てると、何となく神様を描いた宗教画のようにも見えるね。お酒は人が神様とコミュニケーションを取るとき供えるものだし。どこまで意図してかは分からないけどね。

ほとんど神様になりかけてるフシでも、皆が守ろうとしたフシの人間性は確かに残っていて、ただの人間の同窓会のように感じられたのが温かかったです。本当に100%神様になってたら、ご飯はフシの体を割いて人へ施せばよく、人であるグーグーと一緒に作る必要は無かったもんね。

 

それぞれの人について。マーチは今度こそ大人になれると思ったけどそうではなかったんだ……。聞き分けの無い子とそれでも添い遂げる姿は、本物以上に”母”だったとは思うけど、これで望んだ自分になれたとするには悲しすぎる気持ちもあります。

トナリがマーチにかけた言葉「色んなものを置き去りにして前に進む辛さ」は胸に刺さりました。かつてジャナンダでウーロイ達を次々に失って、自分も一度は火山で死を選んだことがある人だから言える言葉だよね……。

ボン王子、この人をずっと心配していました。せっかく幸せだったウラリス編を蒸し返し、大切な人たちをまた悲しませるんじゃないかって。だから最後まで幸せに生き抜いたのは泣いちゃいました。この人だって仮にフシがもう少し未熟なときに出会っていれば、違う結末になっていたのかもね。

エコはきっと次の世界で生きる人なのかな。このアニメでの死は(楽園へ行くことを選ばない限り)別れではないので、まだ続きを夢見てもいいのかなと思います。

 

EDにまたやられてしまったね……。20話を見て意味がストンと胸に落ちました。最初はてっきり死亡者リストのような良からぬものを想像していて、最後にボン王子が加わるのにも苦い顔をしていました。だけど本当はむしろ逆で、今回の人生を全うした後、大木(フシ)と共にある人たちの絵だったんだね。

順番的にはメサールが意外と長生きに見えてびっくり。ただこれは想像だけど……アルメ王女の「また一緒に」の言葉をそのまま信じたメサールは、無理やり早死にして魂になって*9、まだ現世のどこかに留まっているはずの妹を探していたのかな、とか。もしくは妹が楽園へ行ったのは察したけど、それなら自分は置いて行かれたことになってバツが悪く、没後もいじけてその辺をウロウロしてたのかなとか。かわいい人。

 

そしてこの大木の傍に入らないのがカハクでした。献身的で、自罰的で、誰よりも愛に生きた人……。最後はこんなに美しい人はいないと思うまでになっていました。

ハヤセの妄執が脳裏にこびりついている分、なかなか気の抜けない人ではありました。ただ端々に共感はできる人で、ハードワークのフシに一番してほしい態度を取ってくれたのはカハクだったり。

左腕のノッカーって悪者なだけじゃなく、カハクにとっては継承者の証で、継承者でいることがフシと共にいられる理由でもあったんだと思います。だけどそれを切り離してなお誓いの言葉を捧げられること、この想いがハヤセの血によるものでなく、カハクの本心からのものなんだと信じられました。

ヤノメ一族ってヒサメちゃんの代からはそこまで悪い人でもないと思うんですよね……もちろん手放しで善とは言えないけど。カハクにも最後まで慈悲は与えられませんでした。でも、そろそろ……次の世界では赦しがあってもいいんじゃないかと、個人的には願ってしまいます。

 

このアニメには何度も度肝を抜かれて、最後のCパートまでたっぷり驚かされました。うんと戻って1期の1話、白髪の少年は人と食べ物がたくさんある南の楽園を目指していたから「着いたよ」って台詞なのかな。

一周見たときのインパクトも、何周か見るたびに理解が進むこともあり、たっぷり見応えのある名作。人の生き様という難題に魅力も苛烈さも最大限に描き切る素晴らしいアニメでした。現代編で何をやるのかは全く想像つかないけど、まだ見ぬ未知へ期待を大にして待っています。

 

転生王女と天才令嬢の魔法革命

OPのタイトル上がるところすごく好き。

制作はDiomedia 主役の声も相まって名作『ガーリッシュナンバー』が思い浮かぶけど、個人的には『異世界薬局』の波動も感じました。いかにも貴族の家にありそうな天蓋付きベッドが大好き。お話軽めな薬局がすでに美術ゴリゴリだったのもあり、今回の『転天』は思いっきり本領発揮してたね。

 

いきなり抽象的なことを言うのですが、何となく舞台の劇を見ている感覚でいました。シナリオが始めにあって、その上を登場人物が忠実に演じているような。実際にどうかは分からないけどね。ここが見せ場だ!というシーンもハッキリ立っていて、インパクト強めな場面にはいつも圧倒されました。

ただ、この感触が好みかどうかは人による気もします。劇的で目を奪われる展開に面白さを見出す人がいれば、役でない人間が生きて何をしているかを重視する人もいるのかも。放送当時は割と賛否あった気がします。わたし自身は劇にも人にも興味があるので、毎回じっくりと見ていました。そのせいか、冬では1話あたりの視聴時間が一番長くかかるアニメでもありました。

 

じゃあ人物は役に過ぎず、使い潰されていたのか……というとその限りではなくて。なにかで割を食った人には後できちんとフォローが入るのが好きなところでした。

たとえば1~2話の流れがお気に入りです。1話はユフィリア様の婚約破棄や、式場のガラス窓バーン!みたいな派手で見栄えのする回でした。アニメの1話ってもちろん大切で、1話で切られないためにも興味を惹きつけておくことが必要だと思っています。なのでこの話数だけでも満足できる回のはずでした。

だけど本当に良いと思ったのが2話、その後のユフィリア様をケアする時間があるところ。確かに1話は盛り上がったけど、そのために痛い思いを抱えた人もいて。そんな人を野放しにはせず、1話よりもグッとテンポを落として寄り添ってあげられるのが好きでした。

 

似たことは7~8話、レイニ嬢についても感じました。他人の婚約者を奪い、なお被害者面でいるレイニ嬢が当時なかなか好きにはなれなくて……たとえ魅了のスキルのせいだったとしても、ならOKとはいかないよ。

そのレイニ嬢でさえ、8話の掘り下げを見てからは心からいい子なんだと信じられるようになってきて。人の印象って一度付いたら覆すのはすごく難しいのに、このアニメではそういった先入観を何度も裏返されたのがびっくりでした。

終始、人物に翻弄されっぱなしだったとも思います。強いと思っていたアニス様は社交界では弱い顔もするし、弱そうに見えるユフィリア様はいざとなれば芯が強いし*10。ギャップで助走つけてくるのがパワーあるよね。それで、ああこの子はもう大丈夫なんだ!って安心したら次には血濡れになってるし……見応えには事欠かなかったです。

 

人物的にはユフィリア様に感情移入することが多かったです。共感もあれば、いつまでも自罰的な態度がわが事のようにモヤモヤすることもあったり。なんかさ……あるじゃん、「わたしには何も無い」って言ってみたり、他人に求められた期待に沿うことだけが価値だと思ってた時代がさ。

中でも特に好きだったのがユフィリア様の視線です。遠く、自分に無いものを見つめる視線。

たとえばアニス様の家庭環境が酷く羨ましいものだったりするよね。ガミガミ言われながらも愛情たっぷりに育ててもらえてるって分かるの、あの光景には思うものがありました。

そして自分に無いものを見て湧き上がる思いって、きっと羨望だけではないと思うんです。嫉妬とか、純粋な疑問、自分がそうでないことに腹が立ったり、勝手に諦めて悲しくなったり……ユフィリア様がどれを自覚して、どれに無自覚かというのもあります。そんな複雑で繊細な思いをアニメーションへ込められる場面には胸を掴まれました。

 

なんだか印象深かったのが8話、アルガルド王子とレイニ嬢が馬車で語らうシーン。ここを見たとき初めて(あれ?意外とこの2人ってお似合い……?)って思えて。

曲がりなりにも婚約者だからもっと堂々としていいのに、同じ画面に入ることも遠慮がちで、狭いはずの馬車がずっと広く見える感じ。しかもレイニ嬢は自分のことを、王子は国のことばかり見ていて、いま向かい合ってる相手とろくすっぽ目が合わないんだよね。

お互いどうしようもなく面倒で、意固地で、引け目があって……なところが立場を抜きに何だか似ていて。よくある王子様と見た目の美しい村娘の2人、という関係よりも、もう一段深く人間的なところで繋がっているのを感じました。

ラスト「一生恨みます」って言葉が、アルガルド王子にとって救いの言葉になりうるんだよね。確かにこれはアニス様ではかけられない言葉だったんだと思います。

 

12話の急激な湿り気にはびっくりしたけど大団円の〆でした、あいつら交尾したんだ!!

隠さずに言うと、ユフィリア様を聖母のように見立てるのはピンと来なかったところもあります。他の癒し系異世界アニメならそれでもいいのに……なんでだろう。国や革命までの話も実は地に足付けてやってた気がするので、興味のある人はその線で見ても面白いのかも。

最後にアニス様が可愛い人たちを眺めて微笑むの、アニス様の目線からこのアニメでやりたかった事ってこれだったんじゃないかな。

 

Baddy Daddies

よかった……きっとこの家庭だから、サンタクロースの魔法が解けた後もまっすぐな子に育つと信じられるんだろうね。

思ったよりも明るくて楽しいお話でした。評判が何となく暗くて視聴をためらっていたところ、いざ自分の目で見てみると基本的には心から笑顔でいられる時間が多かったです。P.A.作品らしい心ある人間をじっくり扱う手付きもばっちり。

 

まずは明るいところから。ミリちゃんが溌剌に動き回ってるのを眺めるだけで幸せだね……。

特に「子どもらしさ」「大人(親)らしさ」が仕草に滲み出るところが好きでした。ミリちゃんが足だけ使って靴を履き捨てるのとか、寝てる子を抱えるときは筋肉質な大人でも重そうにしてたり。そうそう、あれは頭が重いんだよね。

リアル寄りな動きだけでなく、アニメっぽいウソの動きも絶妙なバランスで手を取り合っていて。これは実写ではなかなか代えの効かない特別な見応えがありました。

3枚目とかも好き。これだけで(あっ、上から目線なお説教が始まるんだ)って何となく分かっちゃうもんね。

 

2人のパパが回を重ねる度にゆっくり、着実に良い親になっていくのを実感できました。

やっぱり最初の方なんかはダメだな~って行動も目につきました。園児にブランドもの着せたりね。一つ一つは些細でも、子どもって親を隅々まで見て学んでいるもので、パパたちの振る舞いがミリちゃんに与える影響ってものすごく大きいんだと思います。

4話あたりだとまだ上手い親には程遠いんだね。ミリちゃんの服装を直して一件落着したようでも、この頃はまだ対症療法的で、ミリちゃんの見せる微妙な表情を汲み取れている訳では無さそうだったり。

 

だけどこのトライ&エラーは、特に中盤にかけてメキメキと良い回が続いて見えました。

6話はカズパパが(親らしくあるため子供に何かしてあげなきゃ!)って張り切る回。親らしくある……とは聞こえがいいけど、子供を無視して自分が何かすることがメインになっている限り、それはただ我が身可愛さの人でしかないとも思います。*11

何かしてあげるのが悪いんじゃないです。正しいのは自分だと思い込み、子供が自立して育つことに過剰な不安を持ち、自分を慰めるために子供へ干渉するのがダメなんです。「お前のためを思って」というNGワードが出るのも、この回を象徴するようでした。

それでもカズパパが「思ったよりしっかりしてる」「もっと信じてやらなきゃ」と、ミリちゃんを信用するに至ったのが本当に嬉しくて……それ、それが必要なの!

もしも、子供を信用せず自分を通すことを優先していたら、あの動物園での行動は「ミリちゃんを野蛮な友達・危険な外から引き剥がして家に連れ帰る」だったんだと思います。ありがとう……大切なことに気付いてくれて。

7話も良かったです。カズパパが家出する回。「洗濯回して、皿洗って、メシ作って、風呂入れて、洗濯回して……幸せってこんなんだっけ?」の一言があまりにも重くて。人が丹精込めて作ったご飯を、座って食べてるだけの人が文句ばっかり言いやがって~みたいなのもめっちゃ分かる。そんなに嫌ならもう作りません!

家事・育児に追われる日々が幸せかどうかって、これは即答できない問題です。だから白黒つけた美談で終わるのではなく、しゃあないからもうちょっと頑張ってみるか、に繋がるのは誠実に感じました。難しいテーマだからこそ、言葉だけでない人の視線・表情で伝えられるものもあるね。

9話も良くて……運動会、とりわけ幸せな雰囲気の漂う回でした。

ここまでの話でカズパパ、レイパパもまた背景のある人なのが伝わっていました。カズパパが”本物の親”というのに拘りを持っていたり、レイパパが優秀じゃなきゃ親に認められなかったせいで”勝つ”ことが特別な意味になっていたり。

運動会はレイパパから見て勝ち負けのある話でした。たかが保育園の金メダルでも、レイパパにとっては一番を獲ることが、かつて自分が家族と認められるために大切だったんだよね。

だからこの回はどうなるのかと思って。「金メダルが獲れなくても私たちは家族だよ」に落ち着くのかな……とも思ったけど、それでもうまく行かなさそう。たとえレイパパの家庭が他人から見て拗れていようとも、実親と自分なりに信じてきた価値観を否定されて良い顔はできないと思うんですよね。

そこを9話はレイパパの考え方に寄り添い、”勝ち”を大切に扱ってくれたのがたまらなく嬉しかったです。普段は無口なレイパパが「がんばれ」「(勝って)よかった」って真剣な顔して漏らすんだよね……自分の中で大切に思っていることを相手に向けることが等身大で、最大級の祝福になりうるんだと思います。

 

それとは別に、9話って割とコテコテにハッピーな回です。借り物競争に「かぞく」が出るのも平凡といえば平凡だし……でもそこが良かったとも思っています。というのも、実親が来ないミリちゃんにとって運動会ってそこそこヘビーなイベントだと思うんですよね。結局嫌な思いをして帰った……なんて想像はいくらでも出来ちゃうよ。

そんな暗さをミリちゃんが察するまでもないくらい、パパ達がテンション5割増しで騒がしくて、最後まで一緒に笑顔でいられたことが嬉しかったです。……なぜかこの回は泣いてしまって。幸せな運動会ってこうあるべきだったんだ。

 

リアリティがある話をする分、扱いの難しい話題があるのも確かでした。ミリちゃんとの生活も悪く言えばただの誘拐だもんね。

気になるポイントは人それぞれだと思うけど、わたしが一番気にしていたのは、子供がアニメにとって都合のいい記号にされていないかです。つまり、ミリちゃん自身に意思があって尊重され、こうあれという役割を強いられていないか、です。

でも、ミリちゃんがどれだけ奔放に日々を生きていたかはきっと言うまでもないね。大人の筋書き通りな感動話ではなく、一人の生きた人間を見守ることができました。

ミリちゃんが物を知らされない純粋無垢に見えたのは事実です。どんな時でも笑顔な裏で無理をしていないかはずっと心配でした。ただこのアニメに限ってはカズパパの台詞「言ったって今は分からないよ」がすべてだった気持ちもあります。4歳は幼すぎるよ……世界に残酷さがあることを知る必要はないし、知るべきでもないんだと思います。

 

じゃあ真実を伏せたまま家族をするのが良いことなのかよ……!と続いたのが2回目のクリスマス、学芸会の話でした。子供に優しい嘘をつくサンタクロースに着地するのは見事で、その手があったかとちょっとビックリしちゃいました。

サンタさんを信じるのが子供なら、子供ではなくなった人がその正体に気付くのも道理だね。最後、お母さんの写真に語り掛けるミリちゃんはきっと真実にたどり着いた後の姿なんだと思います。

子供に嘘をついてその後幸せで居られるのかはずっと不安でした。だけどミリちゃんの変わらず溌剌な顔を見た瞬間、一気に安堵に変わってしまって。しかもその結末が決して偶然ではないことも、これまでのパパたちの成長を見て知っているわけです。

本当の家族になる、良い親になる……って、言うのは簡単じゃないですか。だけどなかなか信じられないよね。何ならこのアニメには、かつて子どもを望み、一度捨てて、長くは取り返せなかった人だって居て。

だけど『Baddy Daddies』の中ではパパたちが一つ一つ、それが無いと上手い家族にはならないよってくらい大切なものをじっくりと拾って、家族の地盤を築いているのが見えました。だからミリちゃんが4歳から少女になるまでは写真の回想で充分なんです。絶対に幸せな家庭を続けられてるって信じられるから……。

 

自分の目で見て確かに良いアニメでした。家族テーマは何かと個人的なツボに刺さることが多いけど、だからといって贔屓目には見ていません。むしろ厳しい目を向けてしまいハードルが上がるんだけど、それでも良いアニメだったと胸を張って言えます。

真剣視聴してたら夏になっちゃった。でもまだまだ拾いきれてない気がする…… 情けない話だけど、P.A.オリジナルアニメはいつも感想書くのが大変です。それだけ腰を据えて見る価値のあるアニメなんだと思います。書いてる間にBDも買ったから今度いっしょに見ようね。

 

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*1:話数をフライングして……1→12話ではサバイバーズがもう一度食卓を囲むのが嬉しくて。でもそこに信頼が芽生えてハッピーエンド!ではないのがこのアニメ特有の優しさに思います。

*2:算数ベアナックルの虎のひと

*3:リアルな精神科医の話で、たとえば日々が苦しくてお酒だけが癒しの人が来院したら、大抵のお医者さんは「お酒辞めなくてもいいですよ」って答えるらしいよ。それが生活の支障や周りの迷惑になってない限りね。

*4:8話、ポジティブな台詞を相手に伝えているようで、その実お互い自分に言い聞かせているようなところが好きでした。

*5:一応ベースの人格はあったけど、最後にコバルトさんたちの個を問うあたり、やっぱり新しく生まれた個人としての0からだったんだと思います。

*6:大好きだから細かくなるんだけど……たとえば12話のライブだけ手描きを挟めば、心の温かさは表現できたかもしれません。だけどそれはアンドロイドを捨てて人間になるニュアンスも含まれる気がして。このタイトルって、コバルトさん達が心を持ってることは大切だけど、依然として形の変わらないアンドロイドであることも魅力の一つだと思うんですよね。

*7:サテツさんにとって絶対NGだった子供を傷つけうる状態

*8:本当はメサールに伝えるはずだった、

*9:生身の体だとお触れを敷かれたレンリル王城には立ち入れないから

*10:アニス様がそれっぽい理屈でユフィリア様を言いくるめてパチンコへ……ドラゴン討伐へ出かけようとしたとき、きっちり言い返せるシーンが好き。

*11:本当に怖いのは、優先順位が自分>子供になっている人ほど、いざ子供が危険なとき、面倒になって簡単に切り捨てる可能性があること。カズパパがそんな人じゃないのは分かってるけど、ここは個人的にすごく気になるポイントで固唾を飲んで見ていました。