【竹取物語編】ワールドダイスターと向き合いたい【アニメ・ユメステ考察】

竹取物語編です。主に以下の内容を含みます。お話全体にも広く触れます。

  • アニメ  第二場、第三場、第四場
  • ユメステ シリウス第1章:第3~10話
  • ユメステ 演目:竹取物語(シリウス)

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・ここなはどうしてオーディションに勝てなかったの?

表面的な理由はセンスの有無です。センスには可能性という意味がありますが、一旦ここでは特殊能力として話を進めます。この時点でここなにセンスがあることは判明していません。

 

ワールドダイスターになれるのは明日の自分を信じられる人。このアニメで自分を知ることは何より重要です。

ここなは静香とともに、二人で演技プランを考え、ここなが演じる「二人一役」を編み出しました。静香=理想の自分とすると、静香と対話することは自分に向き合っているといえます。

一方のカトリナは一人で練習しています。正直この段階ならどちらが勝つかは未知数でした。

しかし、ここなは八恵の歌に影響され、自分ではない八恵の演技をしてしまいます。ここなはせっかく向き合った自分を信じられなかったことを一因に主役を逃しました。

 

・竹取物語ってどんな話?

シリウス版の竹取物語は原作からのアレンジが大きいです。操というキャラクターは存在しません*1。幼少期のエピソード、竹の花についても独自のものです。

シリウス版のフルバージョンはユメステの演目から見てね。
余裕のある方は原文も。読まなくても問題は無いです(下のリンク先はURLからページ数を指定して読めます)

esdiscovery.jp

ここではざっとポイントになりそうなところを挙げます。

●かぐや姫:カトリナ・グリーベル
今回の主役。求婚しに来る皇子たちをそっけなくあしらう。
正体は月の住人。月で何らかの罪を犯し、赦されるまでの期間限定で下界に堕とされていた。
 
●操(みさお):鳳ここな
かぐや姫の侍女。幼い頃からともに姉妹のように育つ。かぐや姫を「姉様(あねさま)」と呼ぶ。

●天人:静香 ※飛び入り参加
月の都からの使者。この世ならざるもので、かぐや姫を連れて帰る。
かぐや姫に着せる「天の羽衣」は人らしい感情と下界での記憶を消す。
 
○オリジナルの展開
翁と媼はかぐや姫の幸せを良家に嫁がせることだと考える。しかし、かぐや姫は誰とも婚約しない。
ーーー
かぐや姫は月に帰ることになった。この事を翁たちが知れば悲しむと思い、かぐや姫は月を眺めて泣くばかり。その心を聞いた翁は怒り、「連れ帰るなんてことは私が許さない、私の方こそ辛くて死んでしまいたい」と泣きわめく*2。やがて迎えに来た天人にかぐや姫は連れて行かれ、翁たちは悲しみに暮れる。

○シリウス版の台本
翁はかぐや姫の幸せを嫁がせることと考えるが、媼はその限りではないと思っている。
かぐや姫と操はともに仲睦まじく育つ。操はかぐや姫の気丈で思いやりのある内面を好きだと話すが、かぐや姫は寂しげな顔をして、120年に1度咲く竹の花を一緒に見る約束をする
ーーー
かぐや姫は月に帰ることになった。その心を聞いた操は怒り、「私がついています。私が守ります」と月をにらむ。やがて迎えに来た天人にかぐや姫は連れて行かれ、操は悲しみに暮れる。そのわずか一月後に竹の花が咲き、雲から姿を現した月の光に照らされる様子を見て、操は姉様に思いを馳せる。

 

・"役作り"って何?

「役作りとは自分を知り、役を知り、共通点と相違点を見つけて一歩ずつ役に近づいていくこと」

この先、何度も聞くことになる言葉です。

ここなは自分がどういう人なのか、演じる操がどういう人なのかを探り、共通点として「一度決めたことは何がなんでもやり遂げる」ことを見つけます。この粘り強さを糧に、ここなは不安そうなカトリナの近くにいることを実践します。これが今回の公演を成功させる1つ目の鍵です。

 

実はこの「一歩ずつ役に近づいていく」に注目すると、カトリナは実力以外のところで主役争いに有利だったといえるかもしれません。

カトリナとかぐや姫は元から共通点が多いです。遠い国からやって来て、たくさんの贈り物と愛情を受け、頬杖をついてここなにウンザリするところまでそっくり*3。自分と役とを擦り合わせる距離が近いぶん、未熟なカトリナでも主役をこなせるのかも。ただし、それは竹取物語に限っての話です。

 

・完璧な演技、本物の演技

「でも完璧な演技っていうのは、案外つまらないものよ」
「シリウスのお客様は、役者同士の感情がぶつかりあう本物の演技を求めています」

カトリナがするのは完璧な演技です。役への感情は無く、集中して読み込んだ資料どおりの演技をします。

ここなが目指すのは本物の演技です。感情のぶつけあいをしたいところですが、カトリナのかぐや姫には感情が乗っていません。

「(本物の演技をするには)相手を信じて、逃げずに真正面からぶつかることです」
「役者を救えるのは、同じ舞台に立つ役者だけですから!」

実はこの八恵のアドバイスには正しさと怪しさが含まれています。逃げずに正面からぶつかること、役者だけが役者を救えることは正しく、今回の公演を成功させる2つ目の鍵になります。

しかし「相手を信じて」のところ、これは八恵個人の考え方です。ワールドダイスターになれるのは明日の自分を信じられる人です。相手を信じること自体は間違いじゃないけれど……。

ここなは竹取物語が終わった後もこの台詞を覚えているから、続くアラビアンナイト編で八恵を信じる選択を取るのかもしれません。また2番目の台詞は、後に他でもない八恵自身を救うものとして返ってきます。

 

・カトリナはどうやって救われたの?

1度目のピンチ

カトリナは不意の音で集中力のセンスを切らし、パニックを起こします。

「大丈夫、私がついています私が守ります

ここなは咄嗟に演技を変えてカトリナを落ち着かせることに成功します。①不安を隠すカトリナに役作りの一環でつきまとい、②八恵のアドバイスから自分が守る使命感を得たことで、台本のセリフに台本とは異なる感情を込めてカトリナに想いを伝えています。

ユメステでは本来どのような演技をするつもりだったのかが見られます。

ここなは原作の翁のようにただ泣きわめくのではなく、台本の操のように月をにらみながら言うのでもなく、カトリナの目を見て手を握り優しく語り掛けるように演技を変えています。

 

さらにこのとき片目が光り、ここなもセンスを持っていることが判明します。しかし実際は第一場の人魚姫でも同じ力を使っています。この力の正体は第七場までお預けですが、そこから言葉を借りるなら、これは静香が「役の感情を正確に引き出す」ことをしています。

これで感情と感情がぶつかりあう「本物の演技」をする準備が半分整いました。

 

2度目のピンチ

*4が回らないために月の使者が出られなくなり、静香が急の代役として舞台に立ちます。

静香が舞台に立つことはセンスの説明としてはミスリードです。一見ここなの力で静香を出演させたようですが、実際は逆で、静香が自分の意思で舞台に立っています。本当は静香が出る必要は無かったかもしれません。しかし静香の舞台への欲求、そして抑圧の感情はこの頃からすでに芽を出しています。

 

ここなは操の「怒りの演技」ができるようになっています。怒りは負の感情の拠り所である静香側に押し付けられた感情です。ここなは役作りの中で静香(=自分)の怒りっぽいところを再確認し、センスによって静香から感情を伝えてもらうことで、一時的にこの演技を可能にしています。

 

感情の乗った演技に感化されたカトリナは、センスを取り戻し、自身もここなに感情をぶつけます。これで感情と感情がぶつかりあう「本物の演技」が完成しました。

センスとは役者の可能性です。本物の演技に気付いたカトリナは役者としての可能性を拓き、その結果として目の輝きと集中力を取り戻します。

 

しかし、せっかく演技に感情が乗るようになったのに、かぐや姫は月の使者によって天の羽衣を着せられてしまいます。天の羽衣は感情と記憶を消すアイテムです。かぐや姫と操は離れ離れになり、竹の花が咲き、舞台は幕を下ろします。

 

2度のピンチを経てカトリナはここなに救われました。しかし、これらはあくまでミスの挽回に過ぎません。竹取物語の新人公演は結局のところ話題にならず、本公演の八恵ばかりが注目を集めています。

カトリナが役者として成功するためには、自分で自分を知る必要があります。それはまだ先のお話。

 

・かぐや姫がカトリナだったときの未来

第九場にて、カトリナはシリウスを去るかどうかの決断を迫られます。かつてドイツの劇団で失敗したことは時効になり、輝かしい世界からお迎えが来る。その様子はかぐや姫の境遇と重なります。

もし迎えに乗ることを選んだら、カトリナはシリウスでの出来事をすべて忘れ、今まで見せていた人間らしい表情も消えていたのかもしれません。ここな達とも二度と会えなくなっていたのかも。それでもカトリナは自分の意思で物語の結末を変えます。

 

・かぐや姫が静香だったときの未来

実はかぐや姫はもう一人います。役作りのイメージ中『勿忘唄』をBGMに静香がかぐや姫の衣装を着るシーンがあります。

こっちのかぐや姫には本当に会えなくなります。静香がいつか遠くに行ってしまうことはこの時点から仄めかされていたのかもしれません。ちなみにユメステのポスターには2種類の竹取物語が描かれています。

 

・竹の花ってなんなの?

竹の花そのものに意味を見出せなかったので、「竹の花を見る約束」がどのようなものかを考えてみます。和歌を読み解くような領域なのでしっかり付いてきてね。これを読む方の解釈があればぜひ教えてください。

カトリナのかぐや姫にとって

竹の花を見る約束は、操に恋心を抱き、少しでも長く一緒に居たい願いと解釈しました。120年に1度しか咲かない竹の花を見られたということは、それだけ長い時間を2人で待って過ごしたともいえます。つまり竹の花とは、できれば咲いてほしくない花です。

しかし実際には、たった一月後に竹の花は咲いてしまいます。その頃かぐや姫は月に帰り、一緒に居る願いは叶わず、自分のことを「姉様」と呼んで竹の花によろこぶ操と気持ちもすれ違ったまま……という悲恋の終幕かもしれません。

♪ 勿忘草 花開けば あの日託した祈りも咲くことでしょう

『勿忘唄』の歌詞には花の描写があります。勿忘草の花言葉のひとつは「真実の愛」です。これが花開くと、あの日託した祈り(=竹の花)も咲きます。あえて言葉に直してしまうなら、私が胸に秘めた恋心を表にしてしまえば貴女とは離れ離れになってしまうのでしょう、という意味で解釈しています。*5

 

静香のかぐや姫にとって

竹の花を見る約束は、ここなと二人でワールドダイスターになる約束と解釈しました。120年に1度咲く竹の花は晴れ舞台とも呼ばれます。そして二人の約束は、第十一場の回想に映るここなと静香の約束に重なります。

♪ 勿忘草 花開けば あの日託した祈りも咲くことでしょう

再び『勿忘唄』からの引用です。勿忘草の花言葉のひとつは「私を忘れないで」です。ワールドダイスターになれるのは明日の自分を信じられる人なので、勿忘草が花開く(=私・自分を忘れないでいる)なら、あの日託した祈りも咲く(=ワールドダイスターになる願いが叶う)と読めます。

しかしこの読み方では足りません。静香=自分ならこれでも良いですが、静香を個人としたときの情緒が欠けています。約束の達成率も50%です。

ここなは「二人で」という約束を忘れています。また第十一場で静香はここなの成長のために自身の気持ちを返し、存在ごと消滅します。

勿忘草を「(ここなとは別存在の)静香を忘れないでね」の意味で取り直してみましょう。これは別れの挨拶です。すると、勿忘草が花開く(=静香が別れを告げて気持ちをここなに返す)なら、あの日託した祈りも咲く(=ここなが一人でワールドダイスターになる願いは叶う)とも読めます。

ワールドダイスターになったここなは、確かに華々しく咲く竹の花を見られますが、そこに静香は居ません。竹の花を「二人で」見るという願いは叶わず、ここなは約束を忘れたままで、そうやって離れ離れになるくらいならいっそ……という、静香なりの別れを惜しむ終幕でもあると解釈しています。

竹の花は不吉な花です。咲いたら最後、竹林すべてを枯らします。仮にここなが今のまま一人でワールドダイスターになれたとしても、その先は明るくないのかもしれません。

 

・(おまけ)静香はなぜ周りから見えるようになったの?

推測になります。

一つはここなの役者としての可能性が輪郭を帯びてきたからです。静香はここなのセンスで、センスは可能性です。今回ここなが「本物の演技」をやり遂げたことで役者として成長し、ここなの可能性(=静香)が色濃くなったという見方です。

もう一つ推したい説はシリウス全体の可能性が底上げされたからです。舞台とは一人で作るものにありません。ここなという存在が劇団全体に良い影響を与えて、周りのメンバーの可能性にバフがかかったために、可能性の塊である静香が認識できるようになったという見方です。

どの見方が正しいかは分かりません。どちらも正しいかもしれません。

 

・ここなはカトリナをどう思ってたの?

「役作りとは自分を知り、役を知り、共通点と相違点を見つけて一歩ずつ役に近づいていくこと」

「(操の内面は)真面目で、頭が良くて、かぐや姫が大好きで、それから……」
「一度決めたことは何がなんでもやり遂げる。そこ私たちにそっくりじゃない?」

推測です。この言い方だと前者はすべて"相違点"の方に入るように聞こえませんか?

根っこで自己肯定感の低いここなは、自分のことを「真面目」ではないと思っているのかも。「頭が良くて」に関しては静香がここなを「(演劇)ばか」と評しています。

問題は3つ目です。ここなは生意気なカトリナ(=かぐや姫)のことを内心では好きじゃないと思っていたかもしれません。*6

ここなは両親が忙しく孤独な子ども時代を送っていたのに、カトリナは両親と仲が良く自分の舞台も観てもらえます。ここなだって遠い青森から浅草に来たのに、カトリナと持たされる餞別の量は大違いです。あとカトリナはいくら揚げ物食べてもお肌スベスベです。

「ごめん、あの、カトリナちゃんのことを知りたくて……」
「ちょっとショックだったけど、でも公演を成功させるためだもん。どうってことないよ!」

相違点は役に擦り合わせないといけないので、その後カトリナにつきまとっていたのは、ここながカトリナを好きになるための行為と呼べるかもしれません。するとここなは大胆な発言をしています。おまけにフラれています。ただしあくまで公演を成功させるためとドライな思惑しかここなには無く、奇しくもこれが操の「姉様」呼びをする無神経さと合致します。

静香はこの現場を全部見ています。静香からすれば、ここなとカトリナは仕事上の関係だと確認できたのに、竹取物語の舞台になると何やら本物の感情をここなに向けている女がいます。気に入りません。もしも静香が舞台に上がってまでかぐや姫に羽衣をかけた動機が「舞台への欲求」だけではなかったとしたら……*7

一番の被害者はカトリナかもしれません。あれだけ自分に好意を寄せて、自分の本物を出させたここなが、公演が終われば何事も無かったように接してくるのですから。このザラついた感情にケジメをつけてくれるのが第四場です。特に言葉にはしませんが、ここまでの話を把握してから見るとまた一段と面白い回です。

この辺の話をする同人誌があればすっ飛んで読みに行くのでどうか教えてね。

・関連する楽曲

  • 夢見月夜(第二場)
  • 勿忘唄(第三場)

・次のストーリー

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*1:ジブリ映画『かぐや姫の物語』には「女の童」という侍女見習いが登場しますが、操と関連があるかは不明です。

*2:原文018 ”泣きののしる”は「罵る」より「泣きわめく」の意味でとりました。

*3:竹取物語のかぐや姫はめちゃくちゃ態度が悪いです。蓬莱の玉の枝を持って来た皇子には頬杖をついて嫌そうに応対します。

*4:劇場の床を円形にくり抜いて、ぐるっと回して場面転換するための装置

*5:ところで勿忘草の物語は中世ドイツに由来するものらしいです。

*6:「私たちに」なので静香だけがカトリナを嫌っているパターンもあります。しかしそれなら、役作りパートでは静香がカトリナと距離を詰める描写が必要になると思います。

*7:ちなみにユメステの静香版かぐや姫では、カトリナが羽衣をかける月の使者役になります。