【アラビアンナイト編】ワールドダイスターと向き合いたい【アニメ・ユメステ考察】

アラビアンナイト編です。主に以下の内容を含みます。

  • アニメ  第五場、第六場、第七場
  • ユメステ シリウス第1章 第11~17話
  • ユメステ 演目 アラビアンナイト(シリウス) 

・ここなは「自分」を信じなければいけなかった

「ここなさんは、わたしを信じることはできますか?」

第五場、第六場は過ちの連続です。ここなが引き立て役に成り下がる分岐点だったのがこの台詞。

ワールドダイスターになれるのは「明日の自分を信じられる人」です。八恵を信じるのがダメな訳ではなく、それ以上に自分を信じられるのが大切なはずでした。

しかし八恵を信じ、自分を見失ったここなは役者としての可能性を閉ざしていきます。

 

八恵と暮らす日々は幸せそうなのに、よく見ると恐ろしい描写が紛れ込んでいたりします。

相手を信じるとき瞳に映る小さな星々は、ここが劇団シリウスであれば、最も輝く一等星をこそ見据えているべきだったかもしれません。部屋の張り紙は暗がりに忘れられ、机の明かりは八恵ひとりを照らすようです。

 

 

・アラビアンナイト(アラジンと魔法のランプ)ってどんな話?

「アラジン」には形の違うお話がたくさんあります。今回の舞台は各方面のお話をミックスし、さらにシリウス流のアレンジを加えたもののようです。

シリウス版のフルバージョンはユメステの演目から見てね。元となったお話はこちらが短く読めると思います。もちろん、もっとしっかりしたのを探して読んでもいいよ…!

●原作版

arasuji-m.com

●ディズニー版

disney-fun.xyz

ここではポイントになりそうなところを挙げます。

●アラジン:鳳ここな
ダイヤモンドの原石のような純粋な心を持った青年。
Do you trust me?(吹替:僕を信じて!)」を決め台詞に姫と恋仲になる。

●ランプの魔人:新妻八恵
アラジンの願いを叶える存在。
同時に絶大な魔力に縛られた存在で、自分で自分の願いを叶えることはできない
 
○オリジナルの展開(ディズニー版)
アラジンは魔人に王子にしてもらい、"アバブワ"という名前で身分を偽ったまま姫と仲を深める。
魔人の本当の願いは「自由になること」。そのことをアラジンに話すも、叶うことは期待していない。
ーーー
やがて悪者ジャファーを倒し、アラジンは姫に本当の自分を知ってもらう。
アラジンは最後の願いを自分のためでなく、魔人のために使う。魔人は晴れて普通の存在に生まれ変わり、自由に魔法を使えるようになった。

○シリウス版の展開
アラジンは魔人に王子にしてもらい、しかしすぐ自分はアラジンだと打ち明けて姫と仲を深める。
魔人の本当の願いは「主人に幸せになってもらうこと」。そのことをアラジンには話さず、少しだけ叶うことを期待する。
ーーー
やがて悪者アブドラを倒す。
求められるまま願いを叶えても誰も幸せにできなかった魔人は、アラジンの危機を一人で解決するべく魔法の禁忌を破り、代償としてランプに閉じ込められる。その後アラジンは魔人の願いどおり幸せな暮らしを送り、魔人との再会を願うも「いいや、願いごとはもうよそう」と切なく呟いて幕が下りる。 
 
魔人が使う魔法には主に以下のルールがあります。
  • ①人殺しはできない(もし誰かの不幸を願えば自分に返ってくる)
  • ②死者を生き返らせることはできない
  • ③他人の心を操ることはできない

※願いごとに3回の制限が無いのは原作版アラジンの要素に見えます。

 

・八恵も間違えかけている

先の「わたしを信じることはできますか?」という台詞は、そもそも魔人役の八恵が言うべき台詞ではありません。それはアラジンの大切な台詞で、八恵はここでも主役を食っていることになります。

「わたしがダイスターになるには、新しい新妻八恵を見せなくてはいけないんです」
「求められたまま演じている限り、ダイスターには近づけないと気付きました」

今回の八恵は自ら主役を降りています。自身の願いをいち早く叶えるため、主役ではない魔人役として舞台を成功させる必要がありました。そのためなら今回だけここなが引き立て役の犠牲になろうとも。

しかし、これではルール違反です。八恵が役作りから魔人をその身に降ろしたなら、魔人は自分の利益のために魔法を使ってはいけません。ところが八恵は、①自分の願いのために主役を殺し、③ここなや観客の心を操ることを無自覚なりにやっています。ルールを破った魔人の末路は、シリウス版の悲劇的な結末が物語っているのかもしれません。

 

・八恵とここなの願いごと

「じゃあ願いごとを二つ、この公演が成功しますように。それから……八恵ちゃんがダイスターになれますように」

ここなは自分の夢ではなく、八恵の夢が叶うことを願います。

もしこの願いが本来のアラジンならハッピーエンドに直行だったかもしれません。八恵(魔人)が秘めているはずの願いごとに、ここな(アラジン)が願いごとを捧げたのなら、魔人は自分で自分の願いを叶えられない制約を超えて幸せになれます。

ところが八恵は戸惑った顔をします。八恵にとって「ダイスターになれる」は本当の願いごとではなく、八恵の願いは柊先生ともう一度同じ舞台に立つことでした。ダイスター、ワールドダイスターとはそのための中継地点に過ぎません。

 

八恵は柊先生を慕っています。そして先生が「シリウスからワールドダイスターを輩出するまで舞台に立つ気は無い」と話すのを聞いた日から、八恵は焦りまじりの願いを持つようになりました。

詳しくは【人魚姫編】の方でも触れています。八恵は柊先生を想うあまりに視野が狭くなり、この場面では周りにある鏡(=自分を見つめる道具)に幕がかかっていることにも気付きません。

ワールドダイスターになれるのは「明日の自分を信じられる人」です。八恵が見つめるポスターに映るのは過去の自分。もしも八恵がこのまま役者を続けたとして、明るい未来は無いのかもしれません。

anime197166.hatenablog.com

 

・「自分」に見限られるここな

事態はどんどん悪い方へと進みます。ここなは八恵を信じたまま、静香をないがしろにするようになります。静香=自分とすると、これは自分を信じないことに等しいです。

このアニメにおいて、センス(=役者としての可能性)の塊ともいえる静香から目を伏せられるのは絶望的な意味を持ちます。単に静香の機嫌を損ねたのが悪いのでなく、ここなは自分を省みなかったことが問題でした。引き立て役で充分だと自分の輝きを見限ったのはここな自身です

しばらくの間、ここなは静香が居なくなったことにすら気付きません。代わりにその隙間に入るのは八恵です。

八恵「アラジンは魔人と出会い献身的な彼に信頼を寄せます」「誰とも深く関わってこなかったアラジンにとって、初めて心を許せる友達だったから」

ここなは確かに子供のころ孤独を抱えていましたが、初めて心を許した友達は静香のはずでした。しかし今のここなは幼い日の出会いも忘れています。思い出せないけど懐かしい(ここな・静香)の関係を新しく(ここな・八恵)で上書きしてしまうように流れるのが「New Nostalgic Friend」です。

この曲の1番は八恵がメインボーカルで、ここなは引き立て役です。

 

・ある秋の日の未来予測

「New Nostalgic Friend」は読み応えのある曲のようです。この歌詞はいくらか先の未来の話をしています

♪ 帰り道さえ 香る季節が愛しい
♪ 寄り道して帰ろう(黄昏を吸い込んで)金木犀が咲いてる

第六場の時期は6月頃です。台東区はアジサイの名所として有名な地域です。ところが、歌に出てくる金木犀は秋の花です。歌詞から情景を思い浮かべるなら、秋の夕暮れ、金木犀の香りを楽しみながら、ここなと八恵が一緒に帰っている未来の姿がイメージできます。

これを元に、色々な視点からこの曲を聞けそうです。

 

・アラジンと魔人の未来予測のとき

シリウス版の結末では、ルールを破って魔法の力を振りかざした魔人はランプに閉じ込められます。解放されるには一万年待つ必要があり*1、アラジンが魔人と再会する願いは叶いません。

♪ 囚われの時が過ぎ 君が撫でてくれたこと

歌の中では時間が過ぎています。ここではアラジンの一万年後の子孫がランプを撫でたと考えてみます。すると「New(新しくて)Nostalgic(懐かしい)」二人は再会を果たします。

魔人の願いは「主人に幸せになってもらうこと」でした。しかしその後のアラジンをランプの中から知る術はありません。魔人は一万年後に再会してやっと、アラジンが長く続く家庭を築いて幸せに暮らしたことを知るのかも。魔人にとってアラジンは自分の願いごとを叶えてくれた初めての人になります。

 

・ここなと八恵の未来予測のとき

♪ 囚われの時が過ぎ 君が撫でてくれたこと

八恵もまた囚われています。強すぎるセンスの力を振りかざす八恵は舞台を壊し、ダイスターになる願いは叶いません。もちろんその先にある柊先生との共演も叶いません。同様に、ここなも今のままではダイスターにはなれません。

♪ 寄り道して帰ろう(黄昏を吸い込んで)金木犀が咲いてる この光が決して消えないように(隣に)一緒にいれたらいいな どうか

この曲は願いごとをする歌です。しかもこのアニメで示すような、自分の行動で実現させに行く願いではなく、漠然とそうなったらいいなと祈るような願いです。

一緒に居たい願いは光に喩えられますが、"この光" を見ているのは寄り道をする中です。本筋はここな達が役者としてワールドダイスターを目指す夢だとすると、寄り道で見た光とはそれと関係ないところで生まれた願いです。

金木犀には、強い香りに酔いしれる様子から「陶酔」や「初恋」という意味があります。さらに魔法的なところで「霊を寄せ付けない」という使い方もされます。ちょうど幽霊のような静香はこの情景には存在しません。

また黄昏とは「あなたは誰ですか?」と問いかける時間のことです。このパートは八恵が歌って、ここなは静香(=自分)を省みる機会を吸い込まれてしまうかのようです。

♪ 錆びたレールと爪先 15センチ*2落ちたら砂になる

八恵が現実で人魚姫を体現しているなら、「砂になる」は人魚姫が死ぬときの「泡になる」という表現に重なって見えます。八恵が泡になるのは、想い人の柊先生と結ばれなかったときです。

♪ 途切れたレールの先に 君が(翅を)膨らませてた(ひらりと浮いた)手を取ってくれた

二人はレールを外れます。翅を持つのは人魚姫で死後に生まれ変わる風の精霊です。

錆びて途切れたレールがもし役者としての道なら……第六場の間違ったアラビアンナイトを続けた先の秋ごろには、二人の役者人生はボロボロになっていて、ここなは静香の背中を見つけられないまま、八恵は舞台を壊すまま、そしてここなが先にリタイアして風の妖精になり、八恵の手を引いて行くのかもしれません。

 

二人は共に生きていけるとしても、それは役者を辞めた普通の人間としてなのかも。すると確かにダイスターになれない囚われの時からは解放されます。

ここなは懐かしい静香の面影を新しい八恵に見ながら、八恵は懐かしい柊先生の面影を新しいここなに見ながら、今度は「一緒にいたい」という同じ夢を見るようになるのかもしれません。

得られる幸せの日々は、暗い痛みを慰め合いながら、与えられる愛情に全てを預けて、お互いに相手を信じる形をしています。ワールドダイスターになれるのは明日の自分を信じられる人だとしても、レールから外れたのならもう関係ありません。これもまた一つの結末なのでしょう。

 

・ここなに期待されていたもの

「アラジン、今度は君がオイラの願いを叶えてくれるんでしょ? 期待してるからね!」

・八恵から見て

このシーンは第六場、ここながまだボンヤリしている頃の公演です。八恵はここなに引き立て役として、自分をダイスターの座へ押し上げること、あるいはその先のご主人様(柊先生)を幸せにすることを期待していたのかも。

・柊先生から見て

柊先生は人を見るセンス持ちです。八恵が提案した魔人役も二つ返事で決めたのでなく、絶大な魔力(センス)に縛られている魔人と八恵の共通点を見て、適正ありと判断したのかも。するとアラジン役には魔人を救う可能性がある相手が必要になります。

ランプが眠る魔法の洞窟にはアラジンしか入れません。これはアラジンがダイヤの原石のような誠実で清らかな心の持ち主だったからです。柊先生はその心の在りようを見てここなに託したのかもしれません。

 

・二人はどうやって救われるの?

八恵はセンスで観客を魅了してきましたが、実際には強すぎる力のため無自覚に舞台を壊しています。そこで、ここなが八恵と対等以上の強さをもって舞台を成功させることが八恵を救うことに繋がります。

※もうひとつ、脇役として新しい新妻八恵を見せる必要があったのに、主役を食い、結局は今ままで通り”求められるまま”な姿になっているのも問題です。これはダイスターになるための課題で、今回は解決まで行かないものの、持ち越して後で触れることになります。

ここなが強くなるため必要なのは、まず何を差し置いても「自分を見つける」ことです。静香=自分とすると、これは「静香を見つける」とも読み替えられます。

静香はここなのセンスで、センスは役者の内側に宿るものです。そんな存在が浅草を探して出てくるはずはありません。自分に向き合い、舞台に向き合い、ワールドダイスターになる約束を再認識して、はじめて静香を見つけることができます。

 

次に役作りです。竹取物語ではこの方法で操役を完成させ、カトリナを助けることにも繋がりました。

「役作りとは自分を知り、役を知り、共通点と相違点を見つけて一歩ずつ役に近づいていくこと」

ただし今回のアラジンはキャラクターの核が無い(演者に委ねられる)役だったため、役を知ることが出来ず、がむしゃらに他人のアラジンを真似しては失敗しています。

そこで柊先生のセンス指導を通して、静香が役の感情を引き出し、ここなが舞台で表現する「二人一役」を完成させました。

 

そして「じごくのとっくん」です。ひたすら地道な基礎練習。

アラビアンナイト編は特にセンスとセンスのぶつかり合いがアツい回です。しかし能力バトルのように、より強い超能力を持っていた人が勝ちではなく、そこに確かな努力が垣間見えるのがこの回です。ラストではボロボロになった台本をそっと撫でて閉じ、物語に区切りを付けます。

 

・喧噪のアラビアンナイト

♪ 胸を焦がすこの光は 消えやしない
♪ 目を閉じれば見える光 絶やさないで

ここなの歌う「ダイヤモンドの誓い」は闘いの曲です。かつて「New Nostalgic Friend」で寄り道に見ていた光を、今のここなは自分の内側に見ています。ここなは、願いではなく誓いを立て、己のカラダひとつで勝負に繰り出します

♪ すべてはお気に召すまま 願えば叶うよ そんな世界にいたね
♪ イタズラ心さあ揺り起こせ イマジネーション身をゆだねてSo……

対する八恵の「魔法のラストノート」もここなを打ちのめす曲です。八恵は魔法の頃、願えば何でも叶うような、無垢だった記憶を呼び覚ますような、そんな子供心と魔法にあふれた曲で応戦します

ラストノートは香水の用語で「残り香」の意味で取れます。金木犀の強い香りがここなを陶酔させるように、八恵はこの歌でも香りを使って勝負に出ます。すべては柊先生と共演する自分の願いを叶えるため、八恵も真剣に主役を奪いに来ています。

♪ 魔法の頃が君にもあったでしょ 見るもの全てが輝いてた

大事なのは、この歌はここなに負けるための曲ではないことです。ここなは成長しましたが、歌詞を見ると八恵も手をこまねいている訳ではなさそうです。

ラストノートとは最後の香りです。八恵はこの曲を歌う今、魔法の頃には終わりがあることを知っているのかも。この曲は魔法の頃が終わったあなたにそれでも手を差し伸べて、もう一度あの頃を信じさせる曲です。

 

「魔法のラストノート」は曲自体の良さも相まって、観客の心を鷲掴みにします。の場面でここなが負けるとゲームオーバーです。八恵はまた舞台を壊し、二人は役者を諦めるかもしれない未来予測まで立っています。

 

しかし、ここなは負けません。このとき本当の意味で八恵にとって「初めての人」が出来ます。力が強すぎて何でも自分一人でフォローに回っていた八恵は、初めて全力をぶつけ合える相手に出会います。

 

妖しい魔法の色をしていたステージは、いつしか照り付ける太陽のような色へと変わり、二人はお互いに汗を光らせます。

(柊)「ここなが笑えば皆が笑う、ここなが喋れば皆が……」

(八恵)「その人が喋ると誰もが物語に引き込まれて夢中になっていく、その人が悲しい顔をすれば皆が悲しみ、その人が微笑めば……」

柊先生の感想は、第七場の冒頭で八恵が「星の王子さま」を見た感想に重なります。かつて八恵が夢を見た舞台は、いま「アラビアンナイト」として自分が創り出す舞台として実現できています。

 

その結果、魔人が閉じ込められるシナリオこそ変わらないものの、バッドエンドの運命をランプの外から眺めている八恵が映り、八恵もまた自分自身がどのようであったかを知ります。そして自分を知るということは、このアニメでは役者としてさらに成長できることを示します。

「いいや、願いごとはもうよそう」

ここなは晴れやかな顔で最後のセリフを言います。

願えば何でも叶うと思い込むのはこのアニメの主旨ではありません。願いとは自分の選択と行動によって明日を切り拓き、自ら実現させに行くものです。それを知ったここなは、何もせず祈るだけのような願いごとを言うのをやめます。

 

・本当に叶えたい願いは一人では叶わない

「ワールドダイスターにはきっと一人じゃなれないものなのよ。私はそれに気づくのが遅かった」

実はここなの勝因はもうひとつありそうです。それは静香を見つけた後、シリウスの全員を巻き込んだこと。

推測込みですが、アラビアンナイト編の裏テーマはここにあるんじゃないかと思っています。どうやら実写版のアラジンではこの考え方が底を通っている見方もあるようです。

www.jijitsu.net

「二人(カトリナの両親)とも言ってた。ワールドダイスターと呼ばれる存在は、みんな自分の思い通りになるまでめげない図々しさも持つべきだって」

迷惑だろうと何だろうと、ここなは他人を巻き込むことを覚えます。この図々しさという言葉はシリウスのメンバーに広く当てはまるところがあります。たとえば八恵の「自分が先生と共演したい」という願いだって、厚かましさというよりは、ワールドダイスターになりうる素養なのかもしれません。

 

・(おまけ)魔法の香り消し

ここなが静香を見つけられたのも、一人ではなくカトリナやシャモさんの助け舟があってこそでした。その中でカトリナはここなに使用済みのタオルを渡します。

アラビアンナイト編で魔法はよく香りに喩えられました。魔法の香りは願えば叶うと無垢に信じる気持ちや、時にここなを惑わせるモチーフとして使われます。

つまり、魔法の香り中毒になって夢うつつなここなに、カトリナが地道に練習した汗の匂いが染み込んだタオルを嗅がせれば正気に戻せるというわけです。本当に?

 

・(おまけ)夕暮れが見える場所

ユメステ版ではこの屋上は「いい公演が出来たとき観客を見送る」場所と説明されます。

柊先生は今回、イチかバチかの賭けではあったものの、ここなをぶつけて八恵を救うことに成功しました。喜ばしいことですが、一方で八恵の演じた「子供心にあふれる魔人」が勝てなかったこと、大切な八恵が他人のおかげで救われたことに思うところもあるかもしれません。

「星の王子さま」は寂しくなったとき夕暮れを眺めるのが好きです。日はすっかり落ちていますが、もしかしたら柊先生は夕方の頃から観客と空を眺めて、物思いに耽っていたのかも。

 

・もう一つのバッドエンド

「だから、またいつか私と一緒に……」

ここなが八恵に負ければゲームオーバーでしたが、公演の後にも気の抜けない瞬間があったようです。

八恵は柊先生に本当の願いを打ち明けようとしますが、魔人が自分で言う願いは叶いません。この時の八恵はまだ魔人のズボンを履いたまま。そこへ割って入るのがここなです。

「ここなさん、助けてくれてありがとうございました」

これは第三場で八恵がここなに言った「役者を救えるのは、同じ舞台に立つ役者だけ」のブーメランです。それとは別に、本人たちも知らないところで、ここなは八恵の現実でのバッドエンドをも食い止めていたのかも。

 

・(おまけ)願いは自分に返ってくる

八恵ちゃんは決して悪い子ではありません。しかし厳しい目を向けられるなら、ここなを引き立て役に主役を食った期間があることを気にする人もいるかもしれません。

八恵がこの件に自覚的で、ここなにもきちんと思いを向けていることはユメステの☆1八恵サイドストーリーに補完があります。ちなみに☆1ぱんだのサイストでは、カトリナから八恵を警戒している目線があることも見られます*3

(第十場)「八恵が……食われた」

魔人が叶える魔法のルールに「誰かの不幸を願えば自分にも返ってくる」というのがありました。ここなが不幸な役回りになることを承知で主役を食った場合、同じ目に遭います。もしそうなら、第十場でカトリナに勝てなかった一因はここにあったりするのかも。

 

・関連する楽曲

  • New Nostalgic Friend(第六場)
  • ダイヤモンドの誓い(第七場)
  • 魔法のラストノート(第七場)

・次のストーリー

anime197166.hatenablog.com

 

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*1:これは魔人がアラジンと出会ってランプから出られたまでの期間で、時間が経てば出られる訳ではないという説もあります

*2:電車のレールの標準的な高さ

*3:この萌え萌えカトリナ・デレーベルさんは何…?