【アラビアンナイト編】ワールドダイスターと向き合いたい【アニメ・ユメステ考察】

アラビアンナイト編です。主に以下の内容を含みます。

  • アニメ  第五場、第六場、第七場
  • ユメステ シリウス第1章 第11~17話
  • ユメステ 演目 アラビアンナイト(シリウス)

※ 2024/5/25 全体的に若干改訂しました。

 

・ここなは「自分」を信じなければいけなかった

「ここなさんは、わたしを信じることはできますか?」

第五場、第六場は過ちの連続です。ここなが引き立て役に成り下がる分岐点だったのがこの台詞。

ワールドダイスターになれるのは「明日の自分を信じられる人」です。八恵を信じるのがダメな訳ではなく、それ以上に自分を信じられるのが大切なはずでした。

しかし八恵を信じ、自分を見失ったここなは役者としての可能性を閉ざしていきます。

 

八恵と暮らす日々は幸せそうなのに、よく見ると恐ろしい描写が紛れ込んでいたりします。

相手を信じるとき瞳に映る小さな星々は、ここが劇団シリウスであれば、最も輝く一等星をこそ見据えているべきだったかもしれません。部屋の張り紙は暗がりに忘れられ、机のスポットライトは八恵ひとりを照らすようです。

 

 

・アラビアンナイト(アラジンと魔法のランプ)ってどんな話?

「アラジン」には形の違うお話がたくさんあります。今回の舞台は各方面のお話をミックスし、さらにシリウス流のアレンジを加えたもののようです。

シリウス版のフルバージョンはユメステの演目から見てね。元となったお話はこちらが短く読めると思います。もちろん、もっとしっかりしたのを探して読んでもいいよ…!

●原作版

●ディズニー版 ※劇団四季の「アラジン」はこちらを元にしています

ここではポイントになりそうなところを挙げます。

●アラジン:鳳ここな
ダイヤモンドの原石のような純粋な心を持った青年。
Do you trust me?(吹替:僕を信じて!)」を決め台詞に、姫と恋仲になる。

●ランプの魔人:新妻八恵
アラジンの願いを叶える存在。主役のアラジンよりも目立つ役。
絶大な魔力に縛られた存在で、自分で自分の願いを叶えることはできない
 
○オリジナルの展開(ディズニー版)
アラジンは魔人に王子にしてもらい、"アバブワ"という偽名で身分を隠したまま姫と仲を深める。
魔人の本当の願いは「ランプから出て自由になること」。そのことをアラジンに話すが、嘘で追い詰められたアラジンは約束を破り、魔人は自分の願いを叶えてくれないことに失望する。
ーーー
やがて悪者ジャファーを倒し、アラジンは姫に本当の自分を知ってもらえた。
アラジンは最後の願いごとを、自分のためでなく魔人のために使う。「ジーニーに自由を!」魔人は晴れて自由の身になった。

○シリウス版の展開
アラジンは魔人に王子にしてもらい、しかしすぐに自分はアラジンだと打ち明けて姫と仲を深める。
魔人の本当の願いは「主人に幸せになってもらうこと」。そのことをアラジンには話さず、。
ーーー
求められたまま願いを叶えても主人を幸せにできなかった魔人は、魔法の禁忌を破りアブドラを殺害。自身の願いをアラジンに叶えてもらうことを期待し、永遠にランプに閉じ込められる。
その後、アラジンは魔人の願いどおり幸せな暮らしを送った。魔人との再会を願うも「いいや、願いごとはもうよそう」と切なく呟いて幕が下りる。 
 
魔人が使う魔法には主に以下のルールがあります。

 ①人殺しはできない(もし誰かの不幸を願えば自分に返ってくる)
 ②死者を生き返らせることはできない
 ③他人の心を操ることはできない

※願いごとは3回きりという制限は、原作版にはありません。

 

・八恵もまた間違えかけている

そうです、先の「わたしを信じることはできますか?」という台詞は、そもそも魔人役の八恵が言うべき台詞ではありませんでした。それは主役アラジンの大切な台詞で、八恵はここでも主役を食っていることになります。

「わたしがダイスターになるには、新しい新妻八恵を見せなくてはいけないんです」
「求められたまま演じている限り、ダイスターには近づけないと気付きました」

今回の八恵は自ら主役を降りています。自分の願いをいち早く叶えるため、今までとは違い、主役ではない魔人役として舞台を成功させる必要がありました。そのためなら今回だけ、ここなが引き立て役の犠牲になろうとも。

しかし、これではルール違反です。八恵が役作りから魔人をその身に降ろしたなら、魔人は自分の願いのために魔法を使ってはいけません。ところが八恵は、①自分の願いのために主役を殺し(人殺しの禁忌)、③ここなと観客の心を操る(他人の心を操る禁忌)を無自覚なりにやっています。ルールを破った魔人の末路は、シリウス脚本の悲劇的な結末が物語っているのかもしれません。

実は「アラビアンナイト」に限り、八恵の「脇役の魔人をやって新しい自分を見せたい」という目論見も間違っています。この演目は珍しく主役アラジンよりも魔人役が目立つ舞台となっています*1。つまり、この舞台で八恵が魔人役として演じ切ったとしても、今までの八恵と何も変化はありません。

 

・八恵とここなの願いごと

「じゃあ願いごとを二つ、この公演が成功しますように。それから……八恵ちゃんがダイスターになれますように」

ここなは自分の夢ではなく、八恵がダイスターになることを願いました。

3回使える願いごとの内2つをここで消費しています。もしこれがディズニー版の脚本なら、すでにハッピーエンドまで直行だったのでしょう。八恵(魔人)が秘めているはずの願いごとに、ここな(アラジン)が願いごとを捧げたのだから、魔人は自分で願いを叶えられない制約を超えて幸せになれます。

 

ところが八恵は浮かない模様。他者への献身一筋な八恵にとって、自分の願いを願われたことは、ユメステの魔人のセリフと同様に本当に嬉しいことだったのでしょう。

しかし、シリウス版の魔人の本当の願いは「ダイスターになれる」ではありません。八恵の願いは「主人の幸せ」その先に柊先生ともう一度同じ舞台に立つことでした。ダイスター、ワールドダイスターとはそのための中継地点に過ぎません。

八恵は柊先生を慕っています。そして先生が「シリウスからワールドダイスターを輩出するまで舞台に立つ気は無い」と話すのを聞いた日から、八恵は焦りまじりの願いを持つようになりました。

詳しくは【人魚姫編】の方でも触れていまが、八恵は柊先生を想うあまり視野が狭くなり、この場面では周りにある鏡(=自分を見つめる道具)に幕がかかっていることにも気付きません。

ワールドダイスターになれるのは「明日の自分を信じられる人」です。八恵が見つめるポスターに映るのは過去の自分。もしも八恵がこのまま役者を続けたとして、明るい未来は無いのかもしれません。

 

・「自分」に見限られるここな

事態はどんどん悪い方へと進みます。ここなは八恵を信じたまま、静香のことを蔑ろにするように。静香=自分とすると、これは自分を信じないことに等しいです。

このアニメにおいて、センス(=役者としての可能性)の塊ともいえる静香から目を伏せられるのは絶望的な意味を持ちます。単に静香の機嫌を損ねたのが悪いのではなく、ここなは自分を省みなかったことが問題でした。引き立て役で充分だと自分の輝きを見限ったのはここな自身です

しばらくの間、ここなは静香が居なくなったことにすら気付きません。代わりにその隙間に入るのは八恵です。

八恵「アラジンは魔人と出会い献身的な彼に信頼を寄せます」「誰とも深く関わってこなかったアラジンにとって、初めて心を許せる友達だったから」

ここなは確かに子供のころ孤独を抱えていましたが、初めて心を許した友達は静香のはずでした。しかし今のここなは幼い日の出会いも忘れています。思い出せないけれど懐かしい、(ここな・静香)の友人関係を新しく(ここな・八恵)で上書きしてしまうように流れるのが「New Nostalgic Friend」です。

この曲の1番は八恵がメインボーカルで、ここなは引き立て役です。

 

・ある秋の日の未来予測

「New Nostalgic Friend」は、どうやらとても読み応えのある曲のようです。この歌詞はいくらか先の未来の話をしています

♪ 帰り道さえ 香る季節が愛しい
♪ 寄り道して帰ろう(黄昏を吸い込んで)金木犀が咲いてる

第六場は6月頃の話です。台東区はアジサイの名所として有名。ところが、歌に出てくる金木犀は秋の花です。歌詞から情景を思い浮かべるなら、秋の夕暮れ、金木犀の香りを楽しみながら、ここなと八恵が一緒に帰っている未来の姿がイメージできます。

これを元に、色々な視点からこの曲を聞けそうです。

 

・アラジンと魔人の未来予測のとき

シリウス版の結末では、ルールを破った魔人はランプに閉じ込められ、二度と会えなくなります。

♪ 囚われの時が過ぎ 君が撫でてくれたこと

”撫でる”という行為は、魔人を召喚するための”ランプを撫でる”に重なって見えます。ここでは長い時を経て刑期を終えた後、アラジン(またはその子孫)がランプを撫でたと考えてみます。

魔人の願いは「主人の幸せ」でした。しかしその後のアラジンの様子を、魔人がランプの中から知る術はありません。魔人は再会してやっと、アラジンが長く続く家庭を築き幸せに暮らしたことを知るのかも。その時、魔人にとってアラジンは自分の願いごとを叶えてくれた初めての人になります。

 

・ここなと八恵の未来予測のとき

♪ 囚われの時が過ぎ 君が撫でてくれたこと

八恵もまた囚われています。強すぎるセンスの力を振りかざす八恵は舞台を壊し、ダイスターにはなれません。もちろん柊先生と共演する願いも叶いません。同様に、ここなも今のままではお先真っ暗です。

♪ 寄り道して帰ろう(黄昏を吸い込んで)金木犀が咲いてる この光が決して消えないように(隣に)一緒にいれたらいいな どうか

この未来予測の歌詞では願いごとをしています。ここなは3つ目の願いごとを「八恵と一緒にいること」に使って見えます。しかもこれは、アニメが示している自分が叶えに行くような願いではなく、漠然とそうなったらいいな……と祈るような願い。

ここなはもはや、役者としての自分の夢を見てはいません。"この光" を見るのは寄り道をする中で、本筋(ワールドダイスターになる)から逸れたところで願いごとを使い果たしているかのよう。

つまりこの歌は、ここなと八恵は今のまま進んだ先で共に夢を諦め、互いに自分ではない相手を信じ、二人で痛みを慰め合いながら暮らす未来予測なのでは、という見方をしてみます。

 

金木犀には、強い香りに酔いしれる様子から「陶酔」や「初恋」という意味があります。さらに魔法的なところでは「霊を寄せ付けない」という使い方も。ちょうど幽霊のような静香はこの情景には登場しません。

♪ I was chasing it. Melting into a dream. I couldn’t see your back. It's gone.

この辺りは it, your が「目標」とも「静香」とも取れる歌詞に思います。

 

♪ 錆びたレールと爪先 15センチ*2 落ちたら砂になる

八恵が現実で人魚姫を体現しているなら、「砂になる」は人魚姫が死ぬときの「泡になる」という表現に重なって見えます。八恵が泡になるのは想い人の王子様と結ばれなかったとき。

♪ 途切れたレールの先に ※以下()内がここなパート
♪ 君が(翅を)膨らませてた(ひらりと浮いた)手を取ってくれた
♪ (深く)暗い痛みを知っているの(これからふたりで)分かち合おう

二人はレールを外れています。翅を持つ存在とは、人魚姫で死後に生まれ変わる風の精霊のことでしょうか。

錆びて途切れたレールを「役者としての道」と取るなら……第六場の間違ったアラビアンナイトを続けた秋ごろには、二人の役者人生はボロボロになっていて、やがてここなが先にリタイアして風の精霊になり、八恵の手を引いて行くのかもしれません。

 

二人は共に生きていけるとしても、それは役者ではない普通の人間として。すると確かに、ダイスターになれない囚われの時からは解放されます。

ここなは懐かしい静香の面影を新しく八恵に見ながら、八恵は懐かしい柊先生の面影を新しくここなに見ながら、今度は「一緒にいたい」という同じ夢のために生きるのかもしれません。

得られる幸せの日々は、暗い痛みを抱えながら、与えられる愛情に全てを預け、互いに相手を信じる形をしています。「ワールドダイスターになれるのは明日の自分を信じられる人」だとしても、レールから外れたならもう関係ありません。これもまた一つの結末なのでしょう。

 

・ここなに期待されていたものって何?

「アラジン、今度は君がオイラの願いを叶えてくれるんでしょ? 期待してるからね!」

・八恵から見て

このシーンが映るのは第六場、ここながボンヤリしている頃の公演です。八恵はここなに引き立て役として、自分をダイスターの座へ押し上げること、その延長線上で主人(柊先生)を幸せにできることを期待していたと見ています。

・柊先生から見て

柊先生は人を見るセンス持ちです。八恵が提案した魔人役も二つ返事で承諾したというよりは、絶大な魔力(センス)に縛られている共通点を見て、八恵に適正ありと判断したのかも。するとアラジン役には魔人を救う可能性がある相手を選ぶ必要があります。

ランプが眠る魔法の洞窟にはアラジンしか入れません。これはアラジンがダイヤの原石のような誠実で清らかな心の持ち主だったからです。柊先生はその心の在りようを見て、微かな希望をここなに託したのかも。

 

・二人はどうやったら救われるの?

八恵はセンスで観客を魅了してきましたが、実際には強すぎる力のため無自覚に舞台を壊しています。そこで、ここなが八恵と対等以上の強さをもって舞台を成功させることが八恵を救うことに繋がります。

※もうひとつ、脇役として新しい新妻八恵を見せる必要があったのに、主役を食い、結局は今ままで通り”求められるまま”な姿になっているのも問題です。これはダイスターになるための課題で、今回は解決まで行かないものの、持ち越して後で触れることになります。

ここなが強くなるため必要なのは、まず何を差し置いても「自分を見つける」ことです。静香=自分とすると、これは「静香を見つける」とも読み替えられます。

静香はここなのセンスで、センスは役者の内側に宿るもの。そんな存在が浅草を探して出てくるはずはありません。自分に向き合い、舞台に向き合い、ワールドダイスターになる約束を再認識することで、ここなは静香を見つけることができました。

 

次に役作りです。竹取物語ではこの方法で操役を完成させて、カトリナを助けることにも繋がりました。

「役作りとは自分を知り、役を知り、共通点と相違点を見つけて一歩ずつ役に近づいていくこと」

ただし、今回のアラジンはキャラクターの核が無い(演者に委ねられる)役だったため、役を知ることが出来ず、がむしゃらに他人のアラジンを真似しては失敗しています。

そこで柊先生のセンス指導を通して、静香が役の感情を引き出し、ここなが舞台で表現する「二人一役」を完成させました。

そして「じごくのとっくん」です。ひたすら地道な基礎練習。

アラビアンナイト編は特にセンスとセンスのぶつかり合いがアツい回です。しかし能力バトルのように、より強い超能力を持っていた人が勝ちではなく、そこに確かな努力の手触りがあるのがこの回の良さだと思っています。

 

・喧騒のアラビアンナイトへ

♪ 胸を焦がすこの光は 消えやしない
♪ 目を閉じれば見える光 絶やさないで

ここなの歌う「ダイヤモンドの誓い」は闘いの歌です。かつて「New Nostalgic Friend」で寄り道に見ていた光を、今のここなは自分の内側に見ています。ここなは、願いではなく誓いを立て、己のカラダひとつで勝負に繰り出す姿を見せました。

♪ すべてはお気に召すまま 願えば叶うよ そんな世界にいたね
♪ 魔法の頃が君にもあったでしょ 見るもの全てが輝いてた

対する八恵の「魔法のラストノート」はここなを迎え撃つ曲。原曲と思われる「Friend Like Me*3」も劇中屈指の人気曲で、観客は手拍子を入れながら観るのがお決まりとなっています。

ラストノートとは香水の「残り香」の意味。金木犀の強い香りがここなを陶酔させるように、八恵はこの歌でも香りを使って勝負に出ています。子供心にあふれた曲で、かつて無垢に遊んでいた誰かを、子供の立場からもう一度誘い出すような歌詞にも見えます。

最強の演者と、最強の曲が揃い、「魔法のラストノート」は観客の心を鷲掴みにしました。の場面でここなが負けるとゲームオーバーです。二人にはすでに、役者を辞めるかもしれない未来予測まで立っています。

しかし、ここなは負けませんでした。このとき本当の意味で八恵にとって「初めての人」が出来たのかもしれません。

「初めての人」とは自分と肩を並べ合える友人のことです。未来予測の中では「一緒に居る」ことを3つ目の願いごととして使い、退廃的ながらも共にある日々を夢想するようでした。

ところが今、力が強すぎて何でも一人でフォローに回っていた八恵は、初めて全力をぶつけ合える相手に出会いました。「一緒に居る」ことは、ここなが自分で強くなり八恵と対等になることでも達成できます。そこに他人任せな願いごとに頼っている暇はありません。

妖しい魔法の色をしていたステージは、いつしか照り付ける太陽の色になり、お互いの汗を輝かせる舞台へと変わっていきます。

柊(第八場)「ここなが笑えば皆が笑う、ここなが喋れば皆が……」

八恵(第七場)「その人が喋ると誰もが物語に引き込まれて夢中になっていく、その人が悲しい顔をすれば皆が悲しみ、その人が微笑めば……」

柊先生の感想と、八恵が「星の王子さま」を見た感想は重なります。かつて八恵が夢見た舞台を、今は「アラビアンナイト」として八恵自身が創り出していると言えるでしょう。このアニメにおいて、夢とは夢想ではなく、自らの行動により実現させるものです。

その結果、魔人が閉じ込められるシナリオこそ変わらないものの、バッドエンドの運命をランプの外から眺めている八恵が映り、八恵もまた自分自身がどのようであったかを知りました。そして自分を知るということは、役者としてさらに成長できることを示します。

「いいや、願いごとはもうよそう」

最後のセリフは晴れやかに言います。ここなは3つ目の願いごとをまだ使っていません。しかし何もせず祈るだけの願いはもはや無意味であり、ここなは自分の可能性を頼りに明日を切り拓くようになった……という解釈をしています。

 

・本当に叶えたい願いは一人では叶わない

「ワールドダイスターにはきっと一人じゃなれないものなのよ。私はそれに気づくのが遅かった」

実はここなの勝因はもう一つありそうです。それは静香を見つけた後、シリウスの全員を巻き込んだこと。

推測ですが、アラビアンナイト編の裏テーマはここにある気もしています。どうやら実写版のアラジンではこの考え方が底を通っているという見方もあるようです。

「二人(カトリナの両親)とも言ってた。ワールドダイスターと呼ばれる存在は、みんな自分の思い通りになるまでめげない図々しさも持つべきだって」

迷惑だろうと何だろうと、ここなは他人を巻き込むことを覚えます。この図々しさという言葉はシリウスのメンバーに広く当てはまるところがあります。たとえば八恵の「自分が先生と共演したい」という願いだって、厚かましさというよりは、ワールドダイスターになりうる素養なのかもしれません。

 

・(おまけ)魔法の香り消し

ここなが静香を見つけられたのも、一人ではなくカトリナやシャモさんの助け舟があってこそでした。その中でカトリナはここなに使用済みのタオルを渡します。

アラビアンナイト編で魔法はよく香りに喩えられました。魔法の香りは願えば叶うと無垢に信じる気持ちや、時にここなを惑わせるモチーフとして使われます。

つまり、魔法の香り中毒になって夢うつつなここなに、カトリナが地道に練習した汗の匂いが染み込んだタオルを嗅がせれば、正気に戻せるというわけです。本当に??

 

・(おまけ)夕暮れが見える場所

公演後、柊先生は屋上で佇んでいました。ユメステ版では「いい公演が出来たとき観客を見送る」場所と説明されます。

柊先生は今回、イチかバチかの賭けではあったものの、ここなをぶつけて八恵を救うことに成功しました。嬉しいことのはずですが、八恵の演じた「子供心にあふれる魔人」が勝てなかったこと、大切な八恵が他人に救われたことに思うところもあるかもしれません。

「星の王子さま」は寂しくなったとき夕暮れを眺めるのが好きです。日はすっかり落ちていますが、もしかしたら柊先生は夕方の頃から観客と空を眺めて、物思いに耽っていたのかも。

 

・もう一つのバッドエンド

「だから、またいつか私と一緒に……」

ここなが八恵に負ければゲームオーバーでしたが、公演後にも気の抜けない瞬間があったようです。

八恵は柊先生に本当の願いを打ち明けようとしますが、魔人が自分の言葉で自分の願いを叶えるのは禁忌です。この時の八恵はまだ魔人のズボンを履いたまま。または「人魚姫」の文脈でも、人魚姫が王子に向けるアピールは誤解されてしまいます。そこに割って入ったのがここな。

「ここなさん、助けてくれてありがとうございました」

このセリフは第三場、八恵がここなに言った「役者を救えるのは、同じ舞台に立つ役者だけ」のブーメランです。本人たちの知らないところで、ここなは八恵の現実でのバッドエンドも食い止めていたのかも。

 

・(おまけ)願いは自分に返ってくる

八恵ちゃんは決して悪い子ではありません。しかし厳しい目を考慮するなら、ここなを引き立て役に主役を食った期間があることを気にされるかもしれません。

八恵がこの件に自覚的で、ここなにもきちんと思いを向けていることはユメステの☆1八恵サイドストーリーに補完があります。ちなみに☆1ぱんだのサイストでは、カトリナから八恵を警戒している目線があることも見られます*4

(第十場)「八恵が……食われた」

魔人が叶える魔法のルールに「誰かの不幸を願えば自分にも返ってくる」というのがありました。ここなが不幸な役回りになることを承知で主役を食った場合、同じ目に遭います。もしそうなら、第十場でカトリナに勝てなかった一因はここにあったりするのかも。

 

・関連する楽曲

  • New Nostalgic Friend(第六場)
  • ダイヤモンドの誓い(第七場)
  • 魔法のラストノート(第七場)

・次のストーリー

※当サイトで使用している版権物の知的所有権はそれぞれの著作者・団体に帰属しております。著作権所有者様からの警告及び修正・撤去のご連絡があった場合は迅速に対処または削除致します。

*1:劇団四季の「アラジン」でも、魔人役をベテランが、アラジン役を新人が演じるという図があります

*2:電車のレールの標準的な高さ

*3:https://www.youtube.com/watch?v=6LM03jvzLNQ

*4:この萌え萌えカトリナ・デレーベルさんは何…?